恩師を見送る
昨日も少し触れましたが、同じ隣保班に住む恩師が亡くなり、今日彼岸へと見送りました。
最近はどうだったのか分かりませんが、先生もかなりのヘビースモーカーで、肺がんで入院中にお見舞いに行かせていただきました。
私は先生にそろばんを習っていました。今思えば、正直言って真面目な生徒ではありませんでした。よくサボりましたし、サボるが故に上達せず、級も全然上がりませんでした。
しかし先生は、よく終戦前後の事を話して下さいました。先生が「ニイタカヤマノボレ」を打電したこと。零戦乗りになって、いくつもの敵機を落としたこと。終戦後、電車の中で、敵機を探す鋭い眼の動きのために、警官にスリと間違われたこと。そろばんとは関係のない話を私にしてくれました。それがとてもうれしかったのを、昨日のことのように思い出されます。
もう一つ、先生はとても特徴のある声の持ち主でした。自分とは全然違うその声が好きでした。時間を計りながらそろばんの問題を解くときに、先生が「はい、よーい、始めっ!」と野太い声で告げる、その声と言い方が好きで、よく真似ていました。
私が進学し、東京に行きで、近所でありながら、少し疎遠になっていました。先生と再会したのは、私が選挙に出ることを決めたとき。まずはご近所へご挨拶をして回ったときに、10年以上ぶりの再会でした。私が当選したときも、先生はとても喜んでくれました。
その次にお会いしたのは、病院のベッドの横でした。少しやせられていましたが、それ以外は何も変わっていませんでした。そのとき、先生は私にお願い事をされました。私にとっては容易いことでしたが、結局それが、唯一、最初で最後の先生からのお願い事になりました。最後まで不出来な教え子である私に、愛情を注いで下さいました。残念ながら、私がお返しできたのは、この一つだけとなりました。
棺の中で、先生は笑顔でいらっしゃいました。最後に先生の手に触れてお別れをしたかったのですが、花に埋もれていて、叶いませんでした。
眼を閉じると、先生の大きな背中が浮かんできます。悔やんでも過ぎた時間は戻りません。今までにいただいた色々なことを記憶に刻んで、これからも生きていきます。
豊田茂雄先生に、感謝と哀悼の意を込めて。
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