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   <title>和歌山市議会議員・民主党和歌山県総支部連合会青年局長　山本忠相 オフィシャルサイト</title>
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   <updated>2012-01-02T18:50:47Z</updated>
   <subtitle>最年少の和歌山市議会議員として、民主党和歌山県総支部連合会青年局長として走る　山本忠相の活動日記</subtitle>
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	   <title>平成２３年の締め括りとして</title>
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	   <published>2011-12-31T09:21:10Z</published>
	   <updated>2012-01-02T18:50:47Z</updated>
	   
	   <summary>　早いもので、平成２３年もその幕を閉じようとしています。今年は本当に色々なことが...</summary>
	   <author>
	      <name>山本忠相</name>
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	   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tadasuke.info/blog/">
	      　早いもので、平成２３年もその幕を閉じようとしています。今年は本当に色々なことがあった年でした。
　言うまでもなく、３月１１日の東日本大震災。多くの尊い命を失いました。福島原発の事故発生に伴い、広範囲に放射性物質が拡散し、今なお多くの方々が故郷を離れなければならなくなりました。
　当時の菅内閣による事故処理の不手際にも、多くの批判が寄せられました。事故処理の不手際もさることながら、そもそも我々日本人が、なぜ原発を設置しなければならなかったのか、その根本的な点から検証を始める時期が来ているように思います。
　菅内閣の後を受けた野田内閣の誕生。そして、９月初めの台風１２号の被害。紀伊半島を中心に甚大な被害をもたらしました。政府はすぐさま災害対策本部を設置し、対応に当たりました。過去の事例では、災害発生後数ヶ月かかっていた激甚災害指定も、２週間ほどで行われ、迅速な復旧活動が実施されました。これには県知事も「１２０％の対応をしてくれた」とのコメントを出されました。
　地震、台風と自然の力をまざまざと見せ付けられた、そんな１年であったように思います。私達は今、文明社会の中で生きていますが、人間が万能だと思い上がる姿を見て、警告を発しているのではないかとさえ思えます。
　私事では、４月の統一地方選挙で２回目の当選を果たさせていただきました。引き続き、和歌山市議会では最年少議員として活動させていただきます。
　１期目は５人ないしは６人の会派でしたが、２期目は私を含めて２人の最小会派となりました。年数の関係から、私が会派の幹事長をさせていただいています。様々なことで、ベテランの先輩方と渡り合わなければなりません。まともに交渉できるのか、不安を感じつつも、今のところは何とかなっています。
　民主党の一員としては、大変厳しいお言葉を頂き続けました。菅内閣のときは本当にピークで、後半は批判よりも諦めや嘆きに近いお言葉を頂くことが多かったように思います。
　やっている張本人や国会議員は東京にいて、あまり直接声を聞く機会は少なかったのでしょうが、地方にいる我々は一種出先機関のような形でモロに受けることになりました。民主党という錦の旗を掲げている以上仕方ないと思いながらも、やった張本人じゃないのにそこまで言われなければならないのかと、不条理さも感じましたが、飲み込みました。
　ツイッターにも「民主党で恥ずかしくありませんか。」というメッセージが届いたりもしました。「前途有望な若いあなたがなぜ民主党に？」なんていうのもありました。頼りなかったり、不甲斐なかったり、約束を守らなかったり、そんな党に所属している。確かに違和感があるのかもしれません。
　自分の支援者から「民主党を辞めないなら応援せん」と言われたりしました。実際は応援してくれましたが。先日もある支援者が「もう民主党辞めたから。党員も継続しないから」と言われました。残念ながら「ちょっと待って下さい」とは言えませんでした。「一緒に辞めたら？」と誘われましたが、「それはできません」とお答えしました。
　私は１９９９年９月に、当時の岩國哲人代議士の下に置いていただいた時から民主党の一員です。苦しいしんどい時期は何度もありました。しかしそれでも辞めることなく、今日までいます。なぜならそれは、民主党は必ず良くなると思っているからであり、そのための一端を担いたいという思いがあるからです。見捨てるのは簡単ですが、最後まで見捨てないというしんどさを率先して引き受けているところはあります。
　先日も国会議員が数名離党しました。なんでこの時期なのか、想像はつきますが、しかし、特に比例区で選ばれた議員が党の名前で当選しておきながら、党を辞めるというのはどういうことなのか、納得がいきません。制度が悪いと言えばそれまでですが、保身に走ったと見られても仕方ないでしょう。
　どうして中に残って、中から変えようとしないのか。変えるための努力をどれだけしたのか、見えてきませんし、伝わるものがありません。
　当初掲げたように「当たり前のことが当たり前に行われる」政治を実現したい、その思いが一層強くなっている今日この頃です。
　年の終わりに愚痴っぽくなりましたが、自分の胸の内を少しでも分かっていただければと思い、書かせていただきました。
	      
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	   <title>１２月議会の最終日</title>
	   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tadasuke.info/blog/2011/12/post_1472.html" />
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	   <published>2011-12-16T08:49:24Z</published>
	   <updated>2012-01-02T13:01:13Z</updated>
	   
	   <summary>　今日で１２月議会が閉会しました。最終日は、市当局から出された議案に対する常任委...</summary>
	   <author>
	      <name>山本忠相</name>
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	   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tadasuke.info/blog/">
	      <![CDATA[　今日で１２月議会が閉会しました。最終日は、市当局から出された議案に対する常任委員会での審査の報告を受け、採決をします。
　今議会に当局から出された議案のうち、特に注目すべきものは、下水道料金値上げの議案と、放課後の子どもを学校で預かってくれる若竹学級の利用料を徴収するという議案です。
　まず、下水道料金値上げの議案です。下水道料金は平成１９年９月議会で平均３９．９％もの大幅な値上げがなされました。しかし、それまでにも平成９年、１２年、１５年と値上げを繰り返しています。
　その主な原因は、現在も建設中であることと、すでに整備された地域での接続率の悪さです。
　市当局の説明では、平成２５年度にはこれまでの建設費用を賄ってきた市債償還（借金返済）の目途がつき、経営状況はかなり良くなるとのことでした。しかし一方で、初期に建設された管の老朽化が著しく、陥没事故なども発生しています。
　また、市債償還の目途がついたからと言って、直ちに下水道料金が下がるわけでもありませんし、現在の使用者がそこまでの負担を強いられなければならないのか、という疑問もあります。高齢者の一人暮らしの世帯では、下水道の本管に接続する工事の費用が重く、家計と相談してできない事例も多くあることは知っています。こういう事例にどう対処するのか、その対応は大きな課題であると思っています。
　ちゃっちゃと整備を進めなかった市当局の責任は重大ですが、和歌山市民にとっての財産となることや、生活環境を維持していく点から考えれば、致し方ないと判断しました。
　ただ、自ら改善を進めてもらわなければなりませんし、これ以上の負担が発生するようであれば、それを認めることはできません。今後の経営計画なども市当局に質していきます。

　次に若竹学級の利用料を徴収するという議案です。これはまず、今日の本会議での反対討論をご覧下さい。

<table border="1" width="100%"><td width="100%">

　今般上程されております議案第８号「和歌山市若竹学級費用徴収条例の制定について」に対し、民主クラブを代表して反対の立場から討論をいたします。
　大橋市長！　市長にあえて問いたい。市長にとって放課後児童健全育成事業、若竹学級の政策はどのようなものなのでしょう？数多くある市の施策の中でも、重要なものの一つではなかったのですか？
　大橋市長が就任され、初めて自ら手がけられた平成１５年度予算の施政方針演説以降、９回全ての施政方針演説に「放課後児童健全育成事業」または「若竹学級」という言葉が必ず入っていました。昨年９月に行われた大橋市長３期目の所信表明演説においても、磨き上げる３つの力のうち、市民力の中に「放課後児童健全育成事業若竹学級の時間延長」が謳われました。
　実際これは、重点政策の一つにも含まれています。それだけ市長が肩入れする、思いいれのある政策ではなかったのですか？
　確かに、受益者負担の原則があります。費用の半額ぐらいは保護者に負担していただこうという国の指針が出ていることも理解しています。中核市４１市中３市だけが無料であり、今回議案にある４０００円という数字が、有料市における利用料・保育料などその名目に関わらず徴収する金額の平均から比べれば低いということも十分分かっています。
　しかし、それをもってもなお、これまでと同じく提供することに大きな意義があるのではないですか。
　本市財政が地方公共団体の財政の健全化に関する法律に基づくイエローカードになろうとした際も、何とか踏ん張って耐えて、無料化を維持し続けてきたではないですか！どうしてそのときの職員さんのご苦労を活かさないのか？そして何より、大橋市長の思いはどこへ行ってしまったのですか？
　有料化して、制度を拡充する。これは誰でもできます。しかし、市民は有料化せずとも、制度を維持、できれば拡充することを、大橋市長に期待しているのです。
　有料化することで、これまで重点政策として持っていた輝きはくすんでしまい、その他一般の政策になってしまうわけです。大橋市長はそれでもいいのですか？
　委員会審査の席上、様々な家庭事情に対応できるよう、これから規則を検討し、定めるというお話でした。しかし、そもそも規則も含めた制度を定めてから条例を提出すべきであり、そのような当局の姿勢は容認できるものではありません。
　議員各位には本討論に御理解を賜り、御判断いただくことをお願い申し上げまして、議案第８号に対する反対討論といたします。</table>

　ほぼこの中に、私の考えは書かせていただきました。大切に育ててきたはずなのに、残念ながらその本質を失おうとしています。市長の子育て政策についての考え方はどのようなものなのか？今後、議会で質してみようと思います。
　和歌山市の財政もマシになったとはいえ、正直好転したとまでは言えません。市民の皆さんからは色々な要望が出てきますが、全部を叶えることはできません。しかし、子どもにかけるお金だけはケチりたくない、それが私の考えです。そのために大人が何かを我慢しなくてはならない場面が増えるでしょう。
　場合によっては、嫌われてでもそれを言い通さなくてはならない時が来ると思います。その覚悟を持って、引き続き与えられた職務をこなしていきたいと考えています。
　以上、今議会に上程された議案のうち、下水道料金の値上げについては賛成し、若竹学級の利用料を徴収するという議案については反対いたしました。一部からは「ええかっこしいや」といった声も聞かれましたが、私はこれで正しい判断をしたと考えています。
　市民の皆さんでご意見があれば、ぜひお聞かせ下さい。]]>
	      
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	   <title>２０１１年１２月議会の一般質問全文</title>
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	   <published>2011-12-02T12:27:32Z</published>
	   <updated>2011-12-11T07:45:48Z</updated>
	   
	   <summary>　今日の質問の議事録を記します。なお、これは原稿ベースで、速報版です。実際の議事...</summary>
	   <author>
	      <name>山本忠相</name>
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	   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tadasuke.info/blog/">
	      <![CDATA[　今日の質問の議事録を記します。なお、これは原稿ベースで、速報版です。実際の議事録は若干異なることをお含み置きください。正規は後に発行される議事録に拠ります。

<p><font color="#FF6600">《質問》<br>

　民主クラブの山本忠相です。今回は教育行政について２点お尋ねします。まず、福島県郡山市からの９７人の子ども達の集団宿泊活動についてお尋ねします。
　この夏、福島県郡山市の小学５･６年生９７人が和歌山に来てくれました。このことについては９月定例会の経済文教委員会でも報告されたと聞き及んでおりますが、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんので、概要を少しだけお話したいと思います。
　この集団宿泊活動は「紀望」プロジェクトと名づけられ、募集から引率まで、郡山市側の手を煩わせることなく実施されました。８月１日に和歌山からバスで郡山市へ子ども達を迎えに行き、和歌山へ連れて来ます。約１２時間の道程もバスの中でゲームをしたりなど、子ども達が飽きることのないよう引率の方が工夫をして下さったそうです。
　２日目は「和歌山を知ろう」というテーマで、和歌山城へ登ったり、市立博物館の見学、紀伊風土記の丘での体験学習、和歌山電鐡貴志川線のマスコットであるたま駅長に会いに行ったりしたそうです。
　３日目は「太陽の下、のびのび遊ぼう」というテーマで、マリーナシティでの自由行動、４日目は加太海岸での海水浴やよさこいの演舞鑑賞、加太少年自然の家での飯盒炊爨などが行われ、翌５日保護者の下へ送り届けられたそうです。
　終了後、市教委には多くの反響があったと聞き及んでおりますが、どのような反響があったのでしょうか。また、事業を行った率直な感想をお聞かせ下さい。

　次に中学校における学期制の変更についてお尋ねします。
　先日、新年度から中学校の学期制を２学期制から３学期制に変更すると、市教委から報告がありました。そこで、まず２学期制導入の経緯について調べました。
　市教委は平成１６年度から２年度にわたって、２校で２学期制の試験導入を行いました。試験導入の結果を受けて、１８年度から市内の全１８中学校で本格導入しました。１８年２月定例議会では、松井先輩が２学期制導入に疑問を呈する立場から、一般質問をされております。
　本格導入で２巡した６年目の今年、学期制を見直し、来年度から３学期制に戻すことが決定されました。
　そこでお尋ねします。まず、１６年度から２年度にわたって行われた試験導入の際、２学期制採用について、どういう洗い出しの結果があったのでしょうか。また本格導入はどういう組織機構で検討決定されたのでしょうか。
　次に、２学期制本格導入６年目において変更するにあたり、この６年間どんな方からどういう反応があり、また市教委としてどういう課題を認識し、変更を検討するきっかけとなったのでしょうか。また変更の決定はどのようなプロセスで行われたのでしょうか。
また市教委は来年度から行われる予定の３学期制を「NEW３学期制」と名づけられています。「NEW３学期制」とはどのようなものか。２学期制導入前の「３学期制」との違いはどのような点でしょうか。
　以上をお伺いして、第１問といたします。
<br></font>

<p><font color="#006600">《大江教育長　答弁》<br>

　集団宿泊活動「きぼうプロジェクト」は、多くの方々のご協力を得て成しえたものです。
　その活動の内容を、詳しくお伝えしたわけでありませんが、郡山に帰った子どもたちやその保護者からは、和歌山市の人々に対する感謝の声や子どもの成長を喜ぶ手紙が続々と届きました。
　なかでも、暑い盛りのこと、子ども達の衣類の洗濯を多くのＰＴＡの方々が、心をこめてしてくださったことへの感謝の意は深く、「福島に対する心無いうわきにつらい思いをしていたなか、和歌山市民の温かさに触れて、親子でうれし涙を流した」という手紙をいただいたことは、強く心に残っています。
　私としましては、本事業を通して、郡山の子どもたちの心身の安定と健やかな成長について願うのはもちろんのこと、和歌山の人の「困ったときはお互い様」という温かい心意気に触れて強く胸を打たれ、心揺り動かされたというのが率直な感想です。

　次に学期制の変更についてです。
　まず、１６年度から２年間にわたる試験導入時、実施した学校からは、授業時数が確保しやすいこと、また長期休業前の事務処理の軽減が、教育相談や部活動の指導の時間に当てられるなどの効果があるという報告がありました。また、本格導入に向けて、当時の校長代表、教育委員会事務局で組織された２学期制検討委員会において検討しました。
　次に、導入以降については、２学期制検証委員会において、継続的に検証を行ってまいりました。
　新学習指導要領の全面実施を翌年に控えた本年度は、教職員、保護者を対象にアンケートを実施し、改めてその成果と課題についての意見集約を行いました。
　その結果、授業時数の増加という所期の目的において一定の成果を得ることができたものの、学習意欲の向上や持続性、評価の在り方等で、課題があることが明らかになりました。
　これらを踏まえ、教育委員会では、２学期制から３学期制に移行することが適切であるという結論に達しました。
　最後に、ＮＥＷ３学期制は、各学校の実態に合った学期ごとの中期目標、年間を通してＰＤＣＡサイクルの有用性を生かし、よりきめ細かな教育を行います。学期ごとの評価を提示することで、生徒個々の課題意識を高め、個に応じた指導を行うことを目指します。
　以前の３学期制と比較して、ＮＥＷ３学期制は、２学期制の良さであった授業時数の確保を生かし、一層明確となる指導と評価の一体化によって、確かな学力、豊かな心、健やかな体を育むことができると考えます。
　以上でございます。
<br></font>

<p><font color="#FF6600">《再質問》<br>

　それぞれお答え頂きましたので、２問目に入らせていただきます。まず、郡山市からの子ども達の集団宿泊活動についてです。
　ご答弁いただきましたが、今回の子ども達の受け入れは教職員はじめ、多くの方々、企業・団体の協力があって、成り立ったものです。おそらく普段から市教委や市当局に対して理解があり、それぞれがコミュニケーションをとっていたので、乗り切ることができたと考えれば、教育長からも感謝のお言葉がありましたが、本当にありがたいことだなぁと思います。
　まだまだ和歌山のコミュニティも捨てたもんじゃないと思いますし、今回のことを契機に一層地域でのつながりを考えるいい機会になるのではないかと思います。
　さて、事業については大成功でありますが、「やりました、成功しました、良かったねぇ」で終わってしまっては、非常にもったいないと思います。今回のノウハウを今後に活かしていかなければならないと思うのです。子ども達の精神的なケアの一環として、精神科医や臨床心理士などの専門家の意見も取り入れつつ、被災地支援の「和歌山モデル」としての構築を目指すべきではないでしょうか。
　和歌山市以外の被災地の子ども達の心をケアすることにも役立てられますが、和歌山市が被災したとき、外の手を借りられないときは自分たちで子ども達の心を癒してあげなければならない必要が出てきます。地域の小さい単位ででも活かせる方法を模索すべきだと思いますが、この点、当局としての考えをお伺いします。

　次に学期制の変更についてです。
　ご答弁にもありましたが、２学期制は授業時間が確保しやすい、長期休業前の事務処理が軽い、教育相談や部活動の指導の時間が取れるといった利点はあったものの、学習意欲の向上や持続性、評価のあり方等で、課題の解決が難しいとの結論を得て、３学期制に変更すると決定された、とのことでした。当初は、「とてもいいもので、バラ色の未来がある」風な捕らえ方をされていたのかもしれませんが、現実は違ったようです。
　導入時は利点と課題を天秤にかけて、結果、授業時間の確保、長期休業前の事務処理軽減、教育相談や部活動の指導の時間の確保に重きを置いた。それがなぜ今、どんなきっかけで、その天秤の傾きが変わったのでしょう。そう思うのは、私だけではないはずです。
　そして、ＮＥＷ３学期制になれば、授業時間を確保しながらも、指導と評価の一体化によって確かな学力、豊かな心、健やかな体をはぐくむことができる、とのご答弁がありました。ならばはじめから、２学期制を導入せずとも、そこへ辿り着ければ良かったのにと、考えるのは短絡的でしょうか。
　さて、ご答弁の中にありました「２学期制検証委員会」は２学期制導入以降も継続的に検証を行ってこられたとのことです。
　この「２学期制検証委員会」は学校教育部長をはじめとして、教職員課長、学校教育課長、それぞれの課の副課長、専門教育監、専門教育監補、教育研究所長から成り立つ組織だそうです。では、検証委員会はいつから設置され、どのぐらいの頻度でいつ開かれたのか、お答え下さい。また検証委員会はいつから２学期制の課題を把握していたのでしょうか。
　それぞれお伺いをして、第２問といたします。
<br></font>

<p><font color="#006600">《大江教育長　答弁》<br>

　今回の集団宿泊活動を通し、子ども達の心身のケアのためには、地域住民や学校関係者、企業や団体、また各関係機関と行政がそれぞれの持つカを結集し、補完し合ってこそ、よいものができるということを、身をもって確信することができました。
　このたびの東日本大震災をうけ、中核市４１市、災害相互応援協定の広域災害時における応援体制が整備されました。このような中核市同士の連携のなかで、臨床心理士などの専門家の意見も取り入れながら、被災地の子どものための支援計画「和歌山モデル」の構築を検討していきます。
　集団宿泊活動の経験を生かし、和歌山市が被災したときは、学校、保護者、地域住民の三者の協力体制を中核に据え、企業・団体、関係機関、医療・心理の専門家などの地域社会が手をつなぎ、子どものために必要な支援を行えるような体制を模索していきたいと考えます。

　２学期制検証委員会は平成１８年度に設置し、各年度２～３回程度開催するとともに２学期制を生かした学校教育の充実に向けた取組について、各中学校長に調査を行い、意見を収集しました。
　その調査などでは、授業時数が確保できる、授業内容の工夫改善が少しずつ進んできたという成果があげられました。
　課題として、学習習慣の確立や学習意欲を向上させる指導と評価の工夫、前期・後期の切り替えの難しさ等があげられ、改善に向けて校長会でも話し合いを重ねてきました。
　その話し合いの中で、課題がより明確になったため、本年5月、教職員、保護者を対象に２学期制と３学期制を比較したアンケ一ト調査を実施し、広く意見を集約しました。
　その結果、従前の課題であった学習意欲の向上や持続性、評価の在り方等の課題が明らかになりました。
　以上でございます。
<br></font>

<p><font color="#FF6600">《再々質問》<br>

　それぞれお答え頂きましたので、３問目に入らせていただきます。まず、郡山市からの子ども達の集団宿泊活動についてです。
　先程も述べましたが、「やりました、成功しました、良かったねぇ」で終わってはいけないと思いますので、有事の際に今回の経験を活かせる方策を検討していただき、郡山の子ども達に向けたベクトルを、和歌山市の子ども達にも向けられるようにしていただきたいと思います。

　次に学期制の変更についてです。
　ご答弁いただきましたが、２学期制が始まって以降ずっと検証委員会が設置され、検証委員会に対して現場の校長から、２学期制の課題に対する意見が出されていたとの事でした。
　石の上にも３年と言います。１年や２年で見直せとは言いません。しかし、本格導入した年の１年生が３年生になった、一巡した年、本格導入をして３年目、試験導入から５年目に見直すべきであったのではないか、私はそう思うのです。３年５年やれば、良いも悪いも分かると思うのです。
　ご答弁にもあったように、確かに来年度から新学習指導要領に変わります。変わるので、それを契機に切り替えを行う。その点は理解できます。しかしそれは、子ども達をものさしに考えたのではなく、役所の論理ではないですか？
　２学期制も３学期制も、どちらも１００％のものではありません。しかし、日本の気候や文化、風土、学校での行事日程などを勘案したとき、やはり３学期制が日本には合っているのではないかと思うのです。
　そのことは先程ご答弁の中にあった、市教委が本年５月、教職員と保護者に対して行ったアンケートで、教職員の５６％が、保護者の６４％が、「３学期制がよい」「どちらかというと３学期制がよい」と回答していることからも窺い知れます。
　子ども達に対して今よりよい学習環境を提供したい、その思いは現場の教職員さんや市教委の皆さんも共通にお持ちだと思いますし、保護者側も当然提供してほしいと思っておられるでしょう。単なる政策的な時間的の差で済むならいいのですが、事これに関しては、人の人生が懸かっている話です。人としての成長期、過ぎた時間は取り返しが利かない。ならばその思いに応えなければならない義務が市教委はあると思います。その点から考えれば、本格導入から６年経った今ではなく、３年目の時点で考えるべきではなかったのでしょうか。
　先程の、松井先輩が１８年２月定例会で行われた質問の答弁で、当時の教育文化部長は「定期考査の間隔が長くなることにより、学習意欲が低下しないよう学習指導や評価の工夫などが必要であると考えてございます。そのため、定期考査だけでなく、ふだんから子供の学習状況をきめ細かくとらえ、学習課題や目的をしっかり持たせる指導の改善や、子供、保護者が学習状況を十分把握できる通知表や面談内容の工夫などを図るよう指示しているところでございます。」と答弁されています。
　今省みるに、結局この課題は市教委として克服できなかった、克服する策を出しえなかったということになるのでしょう。
　松井先輩は「２学期制のマイナス面を補完する制度が、今日現在において決まっていない」ことが問題であり、「みずからの決断をもって２学期制を導入するのであれば、その責任において、予想し得る制度のマイナス面を補完する方法を同時に提案し、広く理解を求める必要があ」ると問われましたが、同質問中にそのお答えはありませんでした。
　改善策を講じられたかもしれませんし、ご努力されたかもしれませんが、結局、私にはそのまま答えを見出せることなく、６年間やり過ごしてしまったのではないかと思えてなりません。
　当時の教育文化部長が答弁されたように「２学期制の趣旨が十分生かされていないと判断される学校につきましては、学校長に対して改善策の提出を求めるとともに、その内容によっては学校訪問なども実施し、本市の中学校教育の充実、発展を図ってまいる気概」をもって行われていたのであれば、３学期制に戻す必要もないのではないでしょうか。
　改めてお伺いします。３学期制への変更が、なぜ今なのでしょうか。試験導入の２年、本格導入の３年をあわせた５年が経過した時を期に再考すべきではなかったのか。機を逸したというお気持ちはありませんか。
　そして、市教委には人の人生を大きく左右する案件を取り扱っているという覚悟をもって取り組まれ、検討し、判断されましたか。
　私は３学期制に戻すことに反対しているわけではありません。しかし、安直に２学期制に飛びついてしまったのではないか、そして、ちょうど来年度から新学習指導要領に変わるから、学期制も変えてしまおうなどと、安易に考えているのではないか、その点を改めて確認いたしたく、質問させていただきました。
　市教委の覚悟と、新年度からの運営に対する決意をお聞かせいただいて、私の一般質問といたします。ありがとうございました。
<br></font>

<p><font color="#006600">《大江教育長　答弁》<br>

　２学期制は、授業時数や教師と生徒が向き合う時間が確保できたり、工夫した体験活動を行うことができたり、いわゆるゆとりのある教育活動を展開できることが、良さであります。
　モデル校での試験導入の２年、すべての学校での本格導入の３年、合わせて５年が経過した時点では、評価と学習意欲という点で課題も見えてきましたが、本格導入から３年しか経過しておらず、当時はその課題を克服し、よりよい２学期制を目指している段階でありました。
　よって、教育委員会では、まだ移行を検討する時期ではないと判断していました。
　しかしながら、平成２４年度から全面実施される新学習指導要領では、生徒の良い点や進歩の状況などを積極的に評価するとともに指導の過程や成果を評価し、指導の改善を行い、学習意欲の向上に生かすことが強く求められています。
　この学習指導要領の改訂に伴い、教育委員会として、生徒の確かな学力・豊かな心・健やかな体を育むために、２学期制と３学期制のどちらがより有効であるのか、２学期制検証委員会の提言を踏まえながら、真摯に議論を重ねました。その際、行った調査でも、全国的に２学期制から３学期制への移行や検討が進められていることが分かりました。
　これらの状況を踏まえ、教育委員会では、この機に、２学期制から３学期制に移行することが適切であるという結論に達しました。
　新年度から、２学期制で培ってきた成果を生かしつつ、一層指導と評価の一体化をめざし、教育効果が高まるような３学期制の構築を目指していく決意です。
<br></font>]]>
	      
	   </content>
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	   <title>大阪ダブル選挙に思う</title>
	   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tadasuke.info/blog/2011/11/post_1454.html" />
	   <id>tag:www.tadasuke.info,2011:/blog//1.1537</id>
	   
	   <published>2011-11-28T05:22:34Z</published>
	   <updated>2011-11-29T02:16:36Z</updated>
	   
	   <summary>　大阪でのダブル選挙の結果が出ました。 　大阪市長選・府知事選とも橋下維新の会が...</summary>
	   <author>
	      <name>山本忠相</name>
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	      　大阪でのダブル選挙の結果が出ました。
　大阪市長選・府知事選とも橋下維新の会が圧勝しました。とマスコミは報じていますが、私個人としては圧勝だとは思っていません。
　例えば、ノック知事２期目の選挙では、投票率がほぼ同じなのに、松井新知事より３５万票近く多く獲得しています。ダブルスコアに届かない状況で、圧勝と言っていいものかどうか、疑問が残ります。
　選挙結果の論評はさておき、これから大阪がどうなっていくのか？です。これは、直ちに直接的に和歌山に対して影響があるのかと問われれば、そんなことはないと答えますが、では全く影響がないかと言えば、そんなことはないと思います。ただ、今の時点でどんな影響がもたらされるのかは、皆目見当がつきません。
　しかし、大阪がこれから混乱と混沌の渦に巻き込まれるであろうことだけは、見えてきます。それは橋下市長と松井知事の差です。
　この二人は確かに、府市合併・大阪都構想実現の１点では完全に一致していて、これに関わる部分では揺るぎないと思います。しかし、行政が抱える仕事や課題は「府市合併・大阪都構想実現」で突破できるものだけではありません。
　大阪も広く、兵庫･京都･奈良の府県境から、南は和歌山との境にある岬町まで、地域差もあり、文化も異なります。橋下さんはご自身のバイタリティやパワーでまとめ乗り切ったのでしょうが、同じことが松井知事にできるでしょうか。
　また維新の会の中では橋下さんが代表だからといって、松井知事が何もかも橋下さんに相談していたのでは、事も進まないですし、橋下さん自身もうっとうしいと思うようになるでしょう。つまり、橋下さんと松井知事の頭の中が違う、全く同じではないので、府政は案外何もできないで停滞してしまうのではないかと思うのです。
　結果として、府民が期待したような結果を出すことができないまま、４年が過ぎ去ってしまう。そんな状態になるのではないでしょうか。大阪が浮上できなければ、近畿の原動力は生まれません。
　これからどう動くのか、注視しながら、上に書いたことが取り越し苦労であってほしいと願うばかりです。
	      
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	   <title>餞（はなむけ）の言葉</title>
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	   <published>2011-09-30T12:08:34Z</published>
	   <updated>2011-10-03T05:10:01Z</updated>
	   
	   <summary>　「春は出会いと別れの季節」などと言われます。３月から４月にかけて、卒業･入学、...</summary>
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	      <name>山本忠相</name>
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	      　「春は出会いと別れの季節」などと言われます。３月から４月にかけて、卒業･入学、就職･転職･異動など人の動きが激しくなります。
　彼岸を過ぎる今頃は、春からちょうど半年。これまた人が動く時期になります。
　我が民主クラブの事務を受け持ってくれていた女性が本日付で退職しました。ご主人が転勤されるとのことで、誰もが致し方のないことです。
　私が議員になってから、何人もの方が民主クラブ所属議員のお世話をしてくれました。結婚を機に退職した方、新天地へ向けて巣立った方など、それぞれの事情でそれぞれの道を歩まれます。私が会派の幹事長をさせていただいてから、初めて来てくれた人で、初めて見送る人となりました。
　細かなところにまで気を配ってくれ、主婦ならではの目配りは、男二人の会派にとって、大変助かりました。
　新しい土地でも活躍されることを期待し、感謝を込めて、餞の言葉としたいと思います。

　さて、今日で９月議会が閉会しました。今議会は山場がいくつもあり、しんどい日々でした。特に議案第１３号「土地賃貸借契約締結等請求調停事件の和解について」の取り扱いで、苦しい場面がありました。また、そこから派生して、違うことにまで飛び火し、心を削ぐような思いをしました。
　そもそも議案第１３号とはどんな内容かということですが、一部新聞紙上にも出ていますが、住宅開発団地の中にある公園の土地が、市当局の怠慢で昭和４９年から登記変更がされないままになっていました。昨年になって元の登記名義人から土地を譲り受けたという人物から、公園となっている土地の返還を求められ、問題が表面化したものです。
　市当局は公園を維持しつつ登記上の権利を得るために、申立人に対して５３０万円余りの金銭でもって買い取り、解決しようとしました。しかし、本来は法律の定めにより、公園として整備し、開発工事の完了を公告した時点で和歌山市のものになっているのです。それを登記していなかったということだけをもって、市当局も相手方の土地と認識して、金銭で買取することは、認められないことです。
　市当局が行うべき行動は、調停で買い取るのではなく、その土地は元々和歌山市のものだ！勝手に自分のものにするな！と訴えを起こすべきなのです。
　住民の「公園が使えなくなっては困る」という思いは理解できます。しかし、日本は法治国家である以上、今回の問題は感情論ではなく、法秩序や法理論で対応処理しなければならないものなのです。でなければ、この国は何でもありになってしまいます。日本は隣の国とは違うのです。
　採決は議長を除く３７人で行われ、３６対１の圧倒的多数で議案は否決されました。私も否決した一人です。
　今回は一つの案件でしたが、和歌山市の公園となっている土地には、同様の例が２００件ほどあるようです。また公園にとどまらず、道路にもあるそうです。ただ登記上名義が変わっていなくても、現に公園や道路で使われている土地は、それ以外に使用できないため、明け渡しを求めたり、買取を求めたりすることは強制収用の場合などを除き、原則できません。また固定資産税などの税金が免除されているはずで、その時点で公園や道路として使用することを追認していることになります。
　今回のことが報道で取り上げられ、他都市においても、同様のことが起こって、行政の職務執行が滞らないよう、願うばかりです。
	      
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	   <title>健やかに、お元気で</title>
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	   <published>2011-09-19T10:32:47Z</published>
	   <updated>2011-09-21T16:51:34Z</updated>
	   
	   <summary> 　今日は敬老の日。 　テレビ番組で知ったのですが、もともと敬老の日は、兵庫県野...</summary>
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	      <name>山本忠相</name>
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	      <![CDATA[<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/DSC_0010.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_DSC_0010.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/DSC_0010-thumb.JPG" width="160" height="106" align="left"/></a></div>

　今日は敬老の日。
　テレビ番組で知ったのですが、もともと敬老の日は、兵庫県野間谷村の村長さんが昭和２２年に「としよりの日」として始まり、それが兵庫県全体、そして日本全国に広がり、昭和４０年に国民の祝日「敬老の日」となったそうです。
　今年も地区の敬老会へお招きいただき、一緒にお昼を呼ばれました。ありがとうございました。]]>
	      
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	   <title>山津波の町へ</title>
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	   <published>2011-09-18T14:45:14Z</published>
	   <updated>2011-09-20T16:32:47Z</updated>
	   
	   <summary> 　台風１２号の襲来から２週間が経ちました。被災地では未だ復旧活動が続いています...</summary>
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	      <name>山本忠相</name>
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	      <![CDATA[<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2831.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2831.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2831-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　台風１２号の襲来から２週間が経ちました。被災地では未だ復旧活動が続いています。今日、ようやく現地入りし、状況を見、復旧活動のお手伝いをしてきました。
　今回、現地入りするまでには紆余曲折がありました。和歌山青年会議所のメンバーとして参加させていただいたのですが、雨の予報が出ていたために、前日の午前、派遣中止の決定がされました。しかし一転、天気が回復し晴れの予報になり、田辺市本宮の災害ボランティアセンターがボランティアの受け入れを決めたため、行ける者だけで行こうということになり、１９時半から準備が始まりました。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2817.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2817.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2817-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2819.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2819.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2819-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2822.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2822.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2822-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　５時半少し前に和歌山市を出発、海南インターから有田インターまで高速に乗り、金屋、龍神、中辺路を経て、本宮に入りました。
　その途中、日高川沿いでも目を覆いたくなるような悲惨な状況を目の当たりにしました。ブルーシートをかけた民家や工場、建物の足元の土砂を流され傾いた建屋、流木や土砂に埋め尽くされた川岸、山積みされた大量の瓦礫や使えなくなった家財道具など。
　瓦礫の山から出火したという話も報道されていたので、気にかかるところです。
　道も土砂崩れなどで片側交互通行になっているところが何箇所もありました。簡易の信号が付けられており、一定の時間で交互通行できるようにされていました。直後にはアスファルトが盛り上がって、路面の白線が立体になっていた、という話も伺いました。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2820.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2820.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2820-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2821.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2821.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2821-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2823.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2823.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2823-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2824.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2824.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2824-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　美山にある椿山ダムに着いたとき、ダムに漂着した流木の量に圧倒され、流木がひっかかっている位置にも驚かされました。ダム湖は一面、流木で覆われていました。よく見ると、流木の中に船が混じっているのも確認できました。大量の雨水が、まさにダムを超えんとしていたことが想像できます。
　途中で白浜･田辺青年会議所のメンバーと合流し、９時頃には本宮行政局近くの公民館に到着。準備して、ボランティアセンターで登録を行いました。連休ということもあるのか、たくさんの方々が来ていました。登録が終わると現場へ移動します。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2825.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2825.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2825-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/3057.jpg" rel="lightbox"><img alt="T_B_3057.jpg" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/3057-thumb.jpg" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　現場は熊野本宮大社の大斎原（おおゆのはら）です。大斎原に堆積した土砂の撤去が今日の仕事です。大斎原へ向かう道の両側には田んぼがあり、黄金色の穂がたわわに実っていました。不思議なことに、同じ場所なのに、田んぼによって稲穂が立っているところと倒れているところがありました。用水路は土砂で埋まっていました。
　大斎原で集まると、作業の説明がありました。また熊野本宮大社の宮司さんからお話がありました。お話の中に「山津波」という言葉がありました。土石流とか言いますが、状況はまさに津波に襲われた後と同じで、東北の被災地の光景を重ねて見ました。
　ボランティアの中に、福井県から来て下さったチームがいらっしゃいました。少しお話しすると、今日１５人で来られて、明日までの１泊２日で活動して下さるそうです。全部で３班が入れ替わりで来て下さるとのことでした。
　福井といえば、平成１６年夏に福井も水害に見舞われました。私は当時秘書をしていて、党から１週間福井に派遣され、復旧のお手伝いをしました。一乗谷朝倉氏遺跡で土砂さらいの毎日でした。
　引率されていた福井県の職員さんにそのことをお話しすると、「やっぱりお互い様ですね」とおっしゃって下さいました。本当にありがたいことです。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2830.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2830.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2830-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　９時半過ぎから１５時前まで、途中昼休憩を挟みながら、ひたすら泥さらいをしました。百数十人で行ったので、予想以上に捗り、少し早く終わることになりました。
　写真では少し分かりにくいかもしれませんが、手前が泥かきを終えた元の地面、奥が泥かき前です。厚みがあるのですが、その分だけ山からの土砂が堆積したのです。それも一部分だけでなく、大斎原や周辺の田んぼにも同じだけの土砂が押し寄せているのです。
　それらを人力でひたすら取り除きます。大斎原の縁に一段低くなっているところがあり、そこに手押し一輪車で泥を運びます。泥が溜まってくると、縁と泥の境が分からなくなり、つい泥の中に左足を突っ込んで身動きが取れなくなってしまい、助け出してもらいました。まさに「泥沼にはまる」を体験しました。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2834.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2834.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2834-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2835.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2835.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2835-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　大斎原の近くには世界遺産熊野本宮館という紀州杉を使った観光施設があるのですが、その建物は水で襲われ、基礎の下の土が持っていかれたために傾き、あるところは沈んでいるように見え、あるところは浮いているように見える状態になっていました。職員の方に聞くと、このまま手を入れて使い続けられるかどうかも分からないと話され、疲れた表情をされていました。
　長靴や道具についた泥を落とした後、白浜･田辺ＪＣのメンバーに、本宮から熊野川沿いを新宮に向かって国道１６８号を行ける所まで案内してもらいました。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2837.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2837.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2837-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2841.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2841.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2841-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　電源開発の発電所の看板は一部がなくなっていました。元々なかったのか、土砂で流されてしまったのかは分かりません。
　紀伊半島名勝の一つである瀞峡を楽しむためのウォータージェット船の発着場になっている志古乗船場は土石流の被害を受け、その機能を失っていました。ぱっと見ただけで２０人ぐらいのボランティアらしき人が掃除のお手伝いをされていましたが、再び使用できるのか、分かりません。観光の拠点が失われると、その後の地域経済の再生に大きな支障となることは、容易に想像がつきます。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2842.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2842.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2842-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2843.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2843.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2843-thumb.JPG" width="120" height="160" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2844.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2844.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2844-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
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<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2846.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2846.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2846-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2852.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2852.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2852-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　続いて、道の駅「瀞峡街道熊野川」へ向かいました。残念ながら、写真の通り、原形がどうであったのか、全く想像できない状態になっていました。丈夫であるはずの道路標示用看板さえ、なぎ倒されていました。ここから先、倒木のため通行止めになっており、新宮へ進むことはできませんでした。
　道の駅の向かいにあった民家は、地震でなったのか、津波でなったのか、山津波でなったのか、判別がつかない状態でした。
　本宮へ戻る道の途中には、船が電柱に引っかかっている状態で残っていました。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2853.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2853.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2853-thumb.JPG" width="120" height="160" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2856.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2856.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2856-thumb.JPG" width="120" height="160" align="left"/></a></div>

　最後に熊野川行政局近くに架かる三和大橋を見に行きました。この橋は、洪水で浸水しないように、わざわざ高いところに作られた橋です。見えにくいかもしれませんが、橋の橋脚にスケールが貼られてあり、下から黄色のシールが１つと、赤のシールが２つ貼られてます。黄色のシールは「注意」と書かれており、川底から５．６ｍの高さにあります。一つ上の赤のシールは「避難」と書かれていて、避難開始の指標となる水位で、川底から８ｍの位置にあります。一番上の赤のシールは「危険」と書かれていて、川底から１０．６ｍの位置です。文字通り、ここまで来ると危険です。
　しかし、橋の欄干を見ると流木が引っかかっています。橋の裏側にもたくさん引っかかっていました。目測で、橋脚の「危険」の位置から２倍以上の高さはあると思われます。その位置まで水が来ていたことになります。
　今、自分が立っている場所も水没して、まだなお高さがある。一体どれだけの水がここを流れていったのか、想像はできましたが、とても実感できず、分かったような分からない感覚に襲われました。ありきたりな言葉しか見つかりませんが、想像を絶する状況の痕跡です。
　今回、実際現場へ行かせていただいて、報道だけでは分からない状況を知ることができました。写真と文章でできるだけ伝わるように書いたつもりですが、しかし実際に行って見ていただくのが、一番理解していただけると思います。ぜひ１回でいいので、現地へ行って復旧活動に参加して、帰りに現状を見て来て下さい。
　いくつかの課題も見つけました。これは別稿で書きたいと思います。]]>
	      
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	   <title>２０１１年９月議会の一般質問全文</title>
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	   <published>2011-09-15T12:00:26Z</published>
	   <updated>2011-09-19T12:21:16Z</updated>
	   
	   <summary>　今日の質問の議事録を記します。なお、これは原稿ベースで、速報版です。実際の議事...</summary>
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	      <name>山本忠相</name>
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	      <![CDATA[　今日の質問の議事録を記します。なお、これは原稿ベースで、速報版です。実際の議事録は若干異なることをお含み置きください。正規は後に発行される議事録に拠ります。

<p><font color="#FF6600">《質問》<br>

　民主クラブの山本忠相です。
　まずは、先日の平成２３年台風１２号による水害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に対しお見舞い申し上げます。民主党の一員として、政府に対し、一日も早い激甚災害指定の決定をしていただけるよう求めていく所存です。
　さて、今回は市有財産の管理について質問させていただきます。
　去る６月議会において、旧第１清掃工場の解体撤去工事にかかる補正予算約６５００万円について審議され、私も賛成し、本議会で可決されました。この予算について、今更異論を挟むつもりはありません。
　しかし、昭和６０年の稼動停止から先の議会における補正予算提出までの経緯や状況については検証する必要があると考えます。
　昭和４６年から稼動を開始した旧第１清掃工場は昭和６０年に稼動停止し、１３年後の平成９年に旧厚生省の財産処分承認を受け、平成１１年度には煙突の撤去工事を行いました。
　その間、平成９年８月には旧厚生省が大阪府豊能郡にある豊能郡美化センターの周辺土壌を調査、同年１１月には高濃度のダイオキシン類を検出、翌１０年９月には豊能郡美化センターのダイオキシン汚染を発表しました。平成１１年度中にダイオキシン類対策特別措置法が施行される中、平成１２年７月豊能郡美化センターの解体工事に従事していた作業員の血中から高濃度ダイオキシン類が検出されたとの報道を受け、ダイオキシン類に対する厳しい規制が敷かれ、平成１３年には廃棄物焼却施設解体作業マニュアルが出されるに至ります。
　これを受けて、平成１５年に第１清掃工場解体に向けたダイオキシン類の調査を行い、１６年事前調査に基づく解体実施の設計、１７年に工事の計画を行ったが、同時期平成１０年に稼動休止した第２清掃工場の煙突が倒壊する可能性があるとのことで、その解体工事を先に行い、第１清掃工場に係る解体工事を延期しました。
　また同時期、本市の財政が悪化、第１清掃工場解体工事は先送りされてきました。平成２２年度国の当初予算で循環型社会形成促進交付金を利用した第１清掃工場跡地利用を含めた計画を立てるも、国の予算措置が見送られたために再び延期。
　その間にも、県から施設を撤去するよう再三再四指導され、平成２１年の県市連絡協議会においては、撤去が正式に申し入れという形で言われました。
　平成２２年６月外装鉄板部の剥離が市民からの通報で認められ、職員さんが応急手当を行い、解体に向けた予算が組まれることになった。しかし、改めて設計を行ったら、老朽化があまりに進んでいて、ダイオキシン類の洗浄に使う高圧水流に建物が耐えられないから、補強してから解体するという、皮肉で無駄な状況になった、ということで、今日に至っています。
　先の６月議会厚生委員会での質疑でも、法律との絡み、技術的な課題などが出ましたが、何より予算の問題が大きいと感じました。
　次に、先の委員会審査でも出てきた鍵となる言葉は「ほったらかし」だと思います。用途廃止になったとは言え、元は市の施設、市民の財産であります。市民から信託されながら、管理はすれど活用はせず、というならば市の責務に対する意識が非常に希薄と言わざるを得ないと考えます。ひょっとしたら、他にもあるのではないかと思い、調査しました。
　例えば、加太地区会館大川分館の建物。昭和２３年に加太小学校大川分校の校舎として建設されましたが、児童数の減少により昭和３９年休校となり、以降校舎は地区会館として地域で使われるようになりました。しかし昭和５３年、隣地に新しい建物ができてから使われることがなくなり、昭和６３年、同校の廃校とともに建物の所管が市教委から自治振興課へ異動。そのまま現在に至っています。
旧第１清掃工場や加太地区会館旧大川分館のような物件を「負の遺産」と呼んだりします。
　保健所横の旧城南病院跡地。建物の大部分は交通安全対策課に貸し出され、放置自転車の保管場所として利用され、いくつかの部屋は介護保険課などの書類保管庫や災害発生時などに必要な備品の備蓄庫として使われていました。中には病院だったときの消毒室などに器械器具が収められたままの部屋もありました。
　このような財産の維持管理について、どのようにお考えですか。お答え下さい。<br></font>

<p><font color="#32CD32">《松見副市長　答弁》<br>

　議員ご指摘の加太地区会館大川分館内にある旧大川分校については、建物が非常に老朽化しているため跡地利用を含め検討しています。旧城南病院につきましては現在放置自転車の一次保管場所や災害用備蓄晶の保管場所として活用しています。その他の老朽化した施設につきましても、まず必要性の観点から検討し、必要性の高い施設については更新や修繕による延命化対策を講じるとともに、必要性が低いと考えられる施設については他の施設への転用や用途廃止後、売却も含めた跡地の有効利用などを図ってまいります。
<br></font>

<p><font color="#FF6600">《再質問》<br>

　お答えをいただきましたので、第２問に入らせていただきます。
　老朽化した施設については、必要性の観点から分別して、必要なものは使い続ける、必要性の低いものは次の手立てを考えるというご答弁でした。
　おっしゃるようにできていれば、私が質問する必要もないのですが。議事録を見ると、未利用地や遊休地の話は、議会において過去何度も取り上げられています。
　旧第１清掃工場についても、色々と手立てを考え、タイミングを計り、予算の都合をつけようとしていたことは理解しています。現在の担当課が積極的に、今このときに過去の負の遺産を後始末しようと動かれていることには敬意を表します。しかし、それでもなお、これまでがほったらかしていなかったと言い切れる状態ではないですし、ほったらかしていたことは委員会での審査席上、当局自身が認められたことです。
　また今回、奇しくも議案第１３号にある中筋日延児童遊園の問題も、本来市当局が行っておくべき手続きをほったらかしておいたために発生した事案であり、後世に無駄な負担をつけ回しする重大な過失があると考えます。
　先程例に挙げました、旧大川分校の校舎は新しい会館の隣にあります。当局は旧校舎が地震に襲われたとき、倒壊の可能性があると想定していらっしゃるようですが、想定外のことが起こるということは、３月１１日東日本大震災で被災地の現状からご理解いただいているはずです。場合によっては、隣に倒れこんで現会館をつぶし、とりあえず雨風をしのぐ避難所としての機能を失わせ、その瓦礫が避難を妨げ、２次災害を招きうるということも考えなくてはなりません。
　旧城南病院の建物は耐震補強がなされていません。おそらくそこまで手を掛ける建物ではないということなのでしょう。それが地震で倒壊し、隣の民家に倒れたら、家はひとたまりもありません。それで人命が失われたら、どんな言葉を発せられるでしょう。
　これまでいくつかの具体例を挙げてきましたが、これら管理行き届いていない形態をその性質から４つの体系に分類してみました。

①持て余し型･･･現在あるものを次の方向性が決めきれず、持て余しているもの。
　これに当てはまると思われるのが旧発明館で、旧発明館は平成２１年３月に閉館し、土地建物を売却すべく一般競争入札を行いましたが、不調に終わっています。まだ次の方向性が決まっていません。休止中の本町駐車場もこれになると思います。
②事情型･･･様々な他の事情が絡んでくるもの。
　これには、現在放置自転車の保管場所に使っている旧城南病院の建物、また水道局が所管している西脇配水池跡地は、両隣の土地所有者との関係があり、また２件の受水槽跡は隣地所有者との関係から、そのままにしておかなくてはならない状態です。
③放置型･･･これは役目を果たしていないのに放置されているもの。
　これには加太地区会館旧大川分館があたると思います。旧第１清掃工場はこれと事情型の半々といった形だと思います。
④怠慢型･･･これは当局の怠慢により、現状に至っているもの。
　建物では見受けられなかったのですが、中筋日延児童遊園の権利についてはこれに当てはまると思います。

　こうして現状分析をした上で、２つの問題点があると思います。
　１つ目は、市当局内に各部局で管理しているものも含めた市有財産を完全に把握している部署がないということです。だから長期間ほったらかしになっていたり、権利の書き換えがなされていなかったりということが起こるのではないでしょうか。
　また、今あるものを有効に活用する上でも、このような機能が必要ではないでしょうか。例えば、旧発明館ですが、売って現金化するのもいいのですが、市役所に程近い一等地で、同様の土地を付近で探すのは至難の業です。そんな時、一括把握している部署があれば、産業部局内で持て余していても、他の部署での需要が見込め、活用も可能ではないかと考えます。
　もう一つの問題点は、作るときとつぶすときの財政措置の差です。公共施設を新たに作るときは、起債もでき、場合によっては補助が行われます。しかし解体撤去となると、起債も認められず、国による補助もありません。実はこのことは、東日本大震災の被災地も同じで、制度的な不備により街づくりの線引きさえできないとの問題点が浮かび上がっています。そんな実情を踏まえれば、新たな公共施設を建設する際には、３０年、５０年先をも見越して、その建物が役目を終えるときにおいても、自ら手立てしなければならないことも含めて進めなければならないと考えます。
　以上、２点の問題点について、市長のご見解をお伺いします。<br></font>

<p><font color="#0066FF">《大橋市長　答弁》<br>

　まず、１点目につきまして、中心市街地にある老朽化した施設の存廃及び処分について部局を跨いだメンバーで構成したプロジェクトチームを立ち上げ検討を行いました。今年度も庁内関係部局での協議を再開させているところです。今後も施設ごとにこのような取り組みを続け、市有財産のより適正な管理と有効活用を図ってまいります。
　次に２点目ですが、東海・東南海・南海地震などの災害に備え、特に防災上の観点から緊急性が認めら一れる施設の解体や除却については、私も重要なことであると認識しています。このような解体などを促進するためには制度がより手厚いものであるべきだと考えますので、財政支援などの拡充について引き続き国へ要望してまいります。
<br></font>

<p><font color="#FF6600">《再々質問》<br>

　ご答弁をいただきました。
　中心市街地の施設について検討するプロジェクトを立ち上げたのが一昨年のことだそうです。なぜそのときに全市全庁に広げて行わなかったのか。その点が非常に残念です。
　市の財産には行政財産･普通財産の区分けがありますが、これらの区別なく、また担当の各部署で持っているとか、管財課で持っているとかの、主管の部署に関係なく、市の財産を一括して把握する部署を置くことが急務であると考えます。
　同じ轍を二度と踏むまいという強い意志をもって、「関係部局での協議」といったものにとどまらず、手札を把握し活かすという役割を置いていただくことを求めます。
　また、国に対して財政支援を要望していくとのご答弁でしたが、先程も申し上げた通り、先を見越した上で、自分で何とかするという気構えが必要になってくるのではないかと思います。
　以上、色々と申し上げましたが、改善していただけることに期待をして、質問を終わります<br></font>]]>
	      
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	   <title>吉宗くんをよろしく！</title>
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	   <published>2011-09-12T13:00:55Z</published>
	   <updated>2011-09-12T17:46:31Z</updated>
	   
	   <summary> 　今日、和歌山市の観光キャラクターである吉宗くんの着ぐるみがお披露目されました...</summary>
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	      <name>山本忠相</name>
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	      <![CDATA[<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2808.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2808.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2808-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　今日、和歌山市の観光キャラクターである吉宗くんの着ぐるみがお披露目されました。これまでは観光ガイドブックやポスターでしか見ることのできなかった吉宗くんですが、これからは動く吉宗くんがご覧になっていただけます。
　これから秋が深まるにつれて、観光シーズン、イベントラッシュになります。あちこちでお目にかかると思いますので、仲良くしてあげて下さい。

　市議会は、明日から一般質問が行われます。一般質問は５日間の予定で、前３日が４人ずつ、後ろ２日は３人ずつで、１８人が登壇予定です。私は３日目１５日の３番目に質問を行います。今回は市有財産の管理について質します。
　８月３０日に質問の要旨を当局に伝えていたのですが、まだ思ったほどの進展がなく、間に合うのかなぁと心配です。]]>
	      
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	   <title>台風の被害は甚大</title>
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	   <published>2011-09-05T08:51:28Z</published>
	   <updated>2011-09-08T13:47:27Z</updated>
	   
	   <summary> 　まずは、今回の台風１２号によって亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げると...</summary>
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	      <![CDATA[<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2803.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2803.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2803-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　まずは、今回の台風１２号によって亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
　民主党和歌山県総支部連合会は昨日４日、県連内に「台風１２号災害対策本部」を設置して、対応に当たっています。私も事務局次長として、主に県外から提供の申し出があった救援物資やボランティア派遣の取りまとめ、政府･党本部との連絡調整を行っております。
　未だ被害の全容は明らかになっていませんが、関係機関総出で被害状況の確認と人命救助、２次災害の防止に努めてまいります。
　写真は今朝、上空から和歌山市の紀ノ川河口付近を撮影したものです。茶色に濁った水が海へと注いでいるのが分かります。紀ノ川は大きく、容量があったために被害は出ませんでしたが、紀南地域では川が小さい上、相当な量の雨が降ったため、今回の水害となりました。残念ですが、これは山間地の宿命と言う他ありません。
　明日は平野防災担当大臣が被災地の視察に来られます。現状を見ていただいて、一日も早く激甚災害指定をしていただきたいと思います。]]>
	      
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	   <title>野田さんが新代表に</title>
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	   <published>2011-08-29T14:57:47Z</published>
	   <updated>2011-08-31T06:47:32Z</updated>
	   
	   <summary>　皆さんすでにご存知の通り、今日民主党の代表選挙が行われ、５人の候補者に対する投...</summary>
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	      <name>山本忠相</name>
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	   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tadasuke.info/blog/">
	      　皆さんすでにご存知の通り、今日民主党の代表選挙が行われ、５人の候補者に対する投票と、その選挙での上位２名による決選投票の結果、野田佳彦候補が民主党の新代表に選ばれました。
　投開票の様子を、県連事務所にて、〆木幹事長とともに見ていました。今回の選挙では、国会議員のみに投票権が与えられました。私は党の地方組織の一端でありながら、今回の選挙に関わることはできませんでした。これは非常に残念です。県連に投票権は与えられていなくても、党員･サポーターの皆さんにご意見を聞くための、何らかの行動を起こせば良かった、とも思っています。
　とにかく、被災地の復旧復興、被災者の生活再建、そして和歌山を含めた被災地以外の経済的影響を最小限に食い止めることが、新代表･新総理に求められると思います。
　確かに財源は必要ですが、それを増税で賄うのは簡単だけれども、ボディブローのように、徐々に国民の生活に悪影響を及ぼすと思います。増税なき財源確保を何とか考えていただきたいと強く願います。
	      
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	   <title>代表選が始まりました。</title>
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	   <published>2011-08-27T12:32:17Z</published>
	   <updated>2011-08-29T14:52:19Z</updated>
	   
	   <summary>　民主党代表選が始まりました。政権交代後、２年弱の間に３人目の総理･代表が誕生し...</summary>
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	   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tadasuke.info/blog/">
	      <![CDATA[　民主党代表選が始まりました。政権交代後、２年弱の間に３人目の総理･代表が誕生しようとしています。
　もうええかげんにせえ！という怒りの声、どうでもいい。という落胆の声、誰がやっても一緒。という無関心。様々な国民の思いの中で、５人が立候補をしました。
　そして、今回もまた任期途中の代表選であるため、一般の党員やサポーターだけでなく、私のような党所属の地方議員も投票に参加できません。県連にも投票権がないため、私達の声を託す、代理するものは何もありません。
　せめて県連に１票だけでもあれば、すぐに県連の投票用紙を県内の党員･サポーターに送り、声を聞いて、生かすことができます。たとえ候補者の名前を書かなくとも、ご批判やご意見を書いて下さるかもしれません。それもまた声です。しかし、それさえもできない。
　国会議員だけで決めるのは、確かにスピードは一番速いです。しかし「民主」的ではありません。今まで同じことを何度も繰り返してきました。なのに全く改善されない。この点には憤りを感じています。

　さて、今回の代表選では、私には一票はありませんが、もし投票できるなら誰を選ぶか。私は<a href="http://www.mabuti.net/" target=_brank>馬淵澄夫</a>候補を選びます。
　これまで国会で秘書をしてきた中での経験、それ以降見てきたものなどを総合して決めました。
　確かに３期目と、総理になるには経験は浅いと言われるかもしれません。しかし、パフォーマンスに走らない、一つひとつ詰め将棋をするような、今一番国民が欲している人格の人ではないかと思うのです。
　今回の代表選で、私の手元にまで、候補者側から政見が届いた唯一の候補者です。色々ご意見はあろうかと思いますが、馬淵候補者の政見をご覧になって下さい。

<table border="1" width="100%"><td width="100%">
<font size="4"><Div Align="center">国民一人ひとりのため、私は逃げずに立ち向かう</font></Div>

<font size="3"><Div Align="right">衆議院議員　馬淵澄夫</font></Div>

　３･１１で日本は決定的に変容してしまいました。津波ですべてを洗い流された東北の農山漁村の光景、原子力災害で不幸にして行き場を失わざるを得なかった福島の住民の皆さんの姿をみて、明治維新以来幾多の困難を乗り越えて積み重ねてきたわが国近現代の歩みを見つめ直さなければならない、と感じた方も多いのではないでしょうか。あの大震災のとき、どんなに生活が豊かで便利になっても、私たちは人と人とのつながりのなかでしか生きられないのだ、という当たり前のことを私はしみじみと感じました。６人の子どもを持つ親として、両親と妻の母親と暮らす大家族の一員として、人と人とのつながりこそ、これからの日本の復興・発展のための基礎となる不変の価値観、拠り所なのだということを再認識致しました。

　今、国民一人ひとりが家族のようにお互いに身を寄せ合って、地域のみんなで協力しながら、逞しく、そして凛として復興に立ち上がろうとしているときに、わが国の政治の有様はどうでしょうか。こういうときこそ、前例や既成概念を超えて、思い切った対応を、スピード感を持って実行することが必要です。政治家は、逃げたり、あるいは行政のせいにするのではなく、全責任を背負う覚悟で仕事をすることが必要なのです。それが、私たちがあの２年前の暑い夏、全国で国民に訴えてきた「政治主導」の政権運営であり、「国民の生活が第一」ということであったのではないでしょうか。残念ながら今の私たちの政権運営は、政権交代の原点からかけ離れており、胸を張って国民に報告できるものではありません。

　政権交代前の私たちがなぜ国民から期待されたのでしょうか。私たちは結党以来、常に、天下り、税金の無駄遣い、耐震偽装や道路整備の問題に見られる際限なき裁量行政、あるいは不作為の連鎖による無責任体制を地道に調査し、国会で質し、長きにわたる政権支配で腐敗しきってしまったこの国の権力構造を変えることを訴え、国民の皆さんから支持されてきました。そして、国民の皆さんにマニフェストを提示し、実現を約束して参りました。これまでマニフェストが実現できなかったのは、マニフェストが正しくなかったからではありません。マニフェストを実行するための政権運営体制を、旧政権下から大きく変えることができなかったからです。「政治を国民の手に取り戻す」ためには、この二年間の反省を踏まえて、民主党らしい「政権運営の型」を作り、規律・規範に基づいた、国民生活のための政治行政を実現しなければならないのです。

　国難の時にあたって、４００名を超える私たち民主党議員は、傍観者であってはなりません。今なおがれきが残る中、避難所生活を余儀なくされる被災者の皆さん、放射能の影響におびえながら生活する福島県の皆さんの現状に、私たちも大きな責任を負っていることを自覚しなければなりません。だからこそ、党利党略との決別に向けた政治の刷新、民主党政権の出直しのために、全党一丸となって立ち上がるのが私たちに課せられた歴史的使命ではないでしょうか。

　私は、三十代前半で当時最年少の上場企業役員として働く機会を持ちました。企業経営では、社内で派閥争いをしていては、士気は上がりません。経営者がパフォーマンスばかりをやっていても、業績は上がりません。リーダーたる経営者は、高い意識を持って誰よりも困難な仕事に率先して取り組み、さらには社員が失敗を恐れずに全力で仕事に取り組める環境を作っていくことこそが最大の使命であるということを学びました。私は、民主党に足りないと指摘されるのはこうした「経営」実践であると思っています。会社の経営経験が、国家の経営に反映されるべき時が来たのではないか、生き馬の目を抜くビジネスの世界で身につけた経験と力が、混沌とした政治状況を収めるのに役立つのではないかと考え始めました。当選回数の少ない私の挑戦は、永田町の常識からは外れているかもしれません。しかし、私は「新しい次代のリーダー」となるべく社会経験を積んできたつもりです。１９９８年に民主党が結党され、１０余年で念願の政権交代を果たしました。会社でいえば、創業から上場に到ったところです。私は、これまでの代表経験者と違い民主党以外の政党に所属したこともなく、生粋の民主党の国会議員として政治活動をして参りました。そんな私は、諸先輩方の経験やご見識を最大限に生かし、党内をひとつにまとめて、民主党をそして日本の政治を立て直すことの先頭に立っていきたいと考えています。

　私は、絶対に逃げない。私は絶対にぶれない。これが民主党再生の最後のチャンスと思って、この戦後最大の国難に立ち向かうために、すべてを賭けて戦ってまいります。




<font size="5"><Div Align="center">政権政策</font></Div>

<font size="3"><Div Align="center">～慈しみの心で分かち合う国へ～</font></Div>

　震災、経済危機、そして、地域や貧富の格差。いま人々の心に、不信と不安が渦巻いている。国難に直面した今、国民一丸となって復興に立ち上がれる国を作らなければならない。成長を取り戻し、国民生活を底上げし、格差を縮小し、日本国民がひとつになって、それぞれの役割を果たし、助け合う国をつくる。人に対する尊厳をもって、慈しみの心で、総和としての恵みの豊かさを分かち合う国へ。

<span class="cubettl">&nbsp;１．二つの国家的危機を脱する&nbsp;</span>

【①東日本大震災からの復興、原子力災害の収束】

○復興庁に強大な権限と独自財源を　各省縦割りを超えた強大な権限と独自財源を持った復興庁を年内に設置し、被災地に副大臣・政務官を常駐させる。

○被災地に国家プロジェクト特区　地域分散型の電力供給、省エネ環境住宅、最先端の農業・医療等を世界に先駆けて実現する国家プロジェクト特区を、復興のシンボルとして被災地に設置する。

○原子力災害対策を一元化、世界の英知を結集　原子力災害・放射能被害に対応する組織を一元化、世界の英知をも結集し、国が前面に立って事態の収束を果たす。

○国の責任で原発被害に対処　こどもや健康への影響、汚染がれきや土壌の処理、農林水産物への被害等に、国が最終責任を負い、大胆かつ迅速に対処し、最大の透明性・情報公開で国民のみなさんと国際社会からの信頼を取り戻す

○安易な増税に頼らない復興　１０００年に１度の天災から世代を超えて復興するとの観点から、その財源は長期償還の国債や無利子非課税国債等でまかない、安易な増税には頼らない。

 

【②世界経済危機からの脱却】

○積極財政で経済危機に立ち向かう　平成２３年度第３次補正予算と平成24年度予算は、急激な円高・株安や世界経済の不透明感を踏まえ、機動的に積極的な予算編成を実施する。

○大胆な金融緩和でデフレ脱却　長期デフレからの脱却と円高の是正を目指し、３年間の集中デフレ脱却期間を設け、マネーサプライの増加など大胆な金融政策を駆使してマクロ経済政策にあたる。

○経済の司令塔「経済戦略会議」を　主要閣僚、日銀総裁、経済界、労働界、学識者等からなる経済戦略会議を司令塔に、オールジャパンで経済政策の基本戦略を策定する。

○財政再建と社会保障の安定　２０１０年代半ばまでに経済を安定成長路線に乗せ、自然増収を確保する。その上で、中期かつ複数年を枠組みとする財政再建に着手し、医療、介護、年金等社会保障制度の抜本的見直しを図る。

 

<span class="cubettl">&nbsp;２．世界の先頭に立つ地域分散型国家へ&nbsp;</span>

○「脱・原発依存」、「国策から国責」へ　原子力発電所の再稼動には、新たな厳格な規制体制の下で安全性を徹底的に確保する。耐用年数の経過した原子炉は段階的に廃炉し、「脱・原発依存」のエネルギー政策へと転換する。再処理方針はまず凍結とし高速増殖炉もんじゅ等の核燃料サイクル政策は抜本的に見直す。

○「生活の安全保障」　地方の活性化に向け、農村の６次産業化、再生可能エネルギーを活用した地域分散型の電力供給等に政策資源を重点投下する。日本の豊かな水、肥沃な土地、そして四季折々降り注ぐ太陽といった固有の資源を最大限活用した「未来型食料・エネルギー供給体制」を作り、そこから新たな環境調和型の産業を生み出し、地域分散・循環型の持続可能な産業を実現する。

○危機管理型「首都機能強化」と危機管理本部　危機対応のための専門組織となる危機管理本部（仮称）の整備、首都機能を強化し国家としてのサバイバル機能を強化する。また、首都機能バックアップ都市の整備を図る。

○日米同盟基軸にアジアの安全確保　日米同盟を基軸とし、新たなアジアの安全保障リスクに対応できる安全保障体制を構築する。海上警察権の見直し等により様々な事態に毅然と対応できる体制を整備する。

○経済重視の実利外交　米国、ヨーロッパとのバランスを取った経済連携を行うとともに、中国・韓国・ASEAN・インド等の成長を取り込むことが可能となるアジア中心の経済連携協定の締結を促進、人的交流を深めるなど、現実主義に基づいた実利外交を展開する。

○中長期ビジョンとしての「ひとづくり」「ものづくり」「くにづくり」　技術、環境、教育、観光等を、ニッポン復興の中長期の基幹として位置づける

<span class="cubettl">&nbsp;３．「ねじれ国会」を超えるための国家のガバナンス強化&nbsp;</span>

○ねばり強い国会運営　「大連立」について選択肢を排除するものではないが、現在の政権の枠組みを維持することを前提として、立法府たる国会において政策本位の丁寧な政党間協議を積み重ねる現実的対応を忍耐強く続けることから逃げない。

○政治主導確立のための機能強化　「国家戦略スタッフ」「政務スタッフ」として国会議員、官民の優秀な人材を政治任用する。これにより、政権交代当初に企図していた国家戦略局、行政刷新会議等内閣周辺組織の機能強化を図る。

○政府と党の連携　各省の政務官の一人は国会との連絡調整に専念するものとし、党国対・政調とともに与野党間協議を行う。

○議員立法の充実、政調での法案修正　政調の各部門会議では、野党とも協議しながら積極的な議員立法の作成、政府提出の法案の修正を行うこととし、役所からの報告や勉強の場に加えて、国会対応と一体となった緊張感のある実質審議の場へと役割を強化する。

○党の機能を強化、国の「営業本部」に　政調、国対を束ねる党執行部と官邸・政府の連携を緻密に行い、党執行部は会社で言えば「営業本部」として、一方で国民各層の意見を幅広く吸い上げ、また一方で政府の活動を報告し、各党との調整協議を行うなど対外関係を取り仕切る双方向型組織として機能強化する。

○郵政改革法案の成立　与党３党の最重点合意事項であることはもとより、現在の４分社化では、国民共有の財産である郵便局ネットワークが崩壊してしまう。国会対策上のあらゆる手段を講じることによって、臨時国会で成立させる。
</table>
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<meta name="keywords" content="馬淵澄夫,民主党代表選,まぶちすみお">
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	   <title>独島博物館</title>
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	   <published>2011-08-18T14:44:33Z</published>
	   <updated>2011-08-20T14:50:46Z</updated>
	   
	   <summary> 　さて、ここでは独島博物館について、お話していきたいと思います。 　その前に、...</summary>
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	      <name>山本忠相</name>
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	      <![CDATA[<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/DSC_0021.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_DSC_0021.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/DSC_0021-thumb.JPG" width="160" height="106" align="left"/></a></div>
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　さて、ここでは独島博物館について、お話していきたいと思います。
　その前に、独島博物館に展示されている、韓国側が、竹島は韓国の領土であるという証拠だと主張する多くの地図や書籍などの信憑性や歴史的検証については、ここでは行いません。私のような素人が根拠を示しながら理論立てて、韓国側の主張を論破することはできません。この点については、ご了承いただきたいと思います。
　この点について詳しく書かれているのが、<a href="http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/" target=_brank>島根県のＷｅｂ竹島問題研究所</a>のサイトです。特に韓国側が有力な証拠資料だとする地図などを重点に検証しています。ぜひそちらをご覧下さい。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2711.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2711.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2711-thumb.JPG" width="120" height="160" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2719.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2719.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2719-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　独島博物館は港から近くの山の上にある薬水公園の中に位置しています。
　私が博物館に入ったのは１６日の１４時過ぎでした。受付には女性一人だけ、館内には韓国人観光客が１０人程度いました。示されている順路に従って、第１展示室から見ていきました。
　まず最初に、竹島の立体模型が置かれていました。先にソウル市庁駅で見たものより、はるかに大きな模型でした。そして、その展示室ではたくさんの種類の地図が並んでいました。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2717.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2717.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2717-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
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　その多くは日本で描かれたものであり、朝鮮全図の中に竹島が描かれたものや、国別で色分けしたもので朝鮮と竹島が同じ色で塗り分けられている地図などでした。
　つまり、日本で描かれた地図で、朝鮮の地図に竹島が入っていたり、同じ色で塗り分けられているのは、日本人が竹島を朝鮮のものだと認識していた、という論法に持っていきたいようです。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2723.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2723.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2723-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2727.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2727.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2727-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>

　第２展示室では、日本がいかに不当に竹島の領有権を主張しているかということを、韓国や島根県の公文書を証拠として、展示していました。
　第３展示室では、韓国国民が日本の不当な占拠といかに戦ってきたか、その武勇伝を展示していました。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2712.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2712.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2712-thumb.JPG" width="160" height="120" align="left"/></a></div>
<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2732.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2732.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2732-thumb.JPG" width="120" height="160" align="left"/></a></div>

　１階のロビーに戻ると、液晶テレビが壁に掛けられていて、そこでは韓国のテレビ局であるＫＢＳが竹島のライブ映像を流していました。この映像は<a href="http://office.kbs.co.kr/dokdo/" target=_brank>ＫＢＳの特別ページ</a>で見ることができます。
　同じロビーには絵や写真、韓国で発行された竹島切手なども展示されていました。その中には、韓国が竹島に建てた灯台と国旗の写真もありました。これが竹島の現状を把握するのに一番端的なものだと思い、その写真を撮ってきました。
　かなり徹底的にやっていることが分かっていただけたと思います。

<div class="image" style="float:left" ><a href="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2706.JPG" rel="lightbox"><img alt="T_B_IMGP2706.JPG" src="http://www.tadasuke.info/blog/images/IMGP2706-thumb.JPG" width="120" height="160" align="left"/></a></div>

　そしてもう一つ。実は、実際独島博物館へ行ってみて、非常に怖いと思ったことがあるのです。それは、左の写真の石碑です。ご覧になっていただいて分かるように、「對馬島本是我國之地」と書かれています。対馬は韓国のものだと言っているのです。石碑の土台には地図と文字が彫られています。同じ地図の説明が博物館の案内書にあるので、それを記します。
<table border="1" width="70%"><td width="70%">
「朝鮮國地理圖所在の八道總圖」(１５９２年)
壬辰倭亂当時、豊臣秀吉の命令で九鬼喜隆などが製作した地図で、八道總圖と江原道別圖に于山島(独島)と欝陵島が描かれている。これは現在発見された日本の地図の中で最初に欝陵島と独島を韓国の領土に描いたものである。
</table>
　日本が作らせた地図の中に欝陵島と独島が韓国の領土として描かれている。その地図に対馬島も描かれているから、対馬も韓国のものだ！という論理のようです。
　ここから考えられるのは、
①最近、対馬の土地が韓国資本によって買われていることから、本気で対馬も取りに来る。
②対馬の土地を買い、実効支配して領有権を主張するが、対馬の土地を返還する代わりに、対馬の土地に見合う金銭と、竹島に対する領有権の放棄を求める。
ではないかと考えたのです。考えすぎならいいのですが、絶対ないとは言い切れないのです。この石碑は、いつ設置されたか分かりませんが、非常にきれいなもので、最近設置されたものではないかと思われます。
　そう考えると、一層怖くなりました。私の勝手な思い過ごしならいいのですが。]]>
	      
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