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2005年04月 アーカイブ

2005年04月03日

「3秒」の違い

 日常生活の中では「3秒」など、あっという間に過ぎ去って、取るに足りない時間かもしれません。しかし今日、その「3秒」が人の生死を分けるかもしれないということを知りました。
 昨日から今日に日付が変わったころ、東京からの応援チームとの宴の帰り、いつものように自転車で歩道を走っていました。右の車道は、0時を過ぎているにも関わらず、多くの車が通っていました。
 突然後方から、やんちゃな兄ちゃんが乗る車に付いているマフラーの大きな爆発音がした次の瞬間「ドカーン」とマフラーの音とは違う大きな音。振り返ると、車道と歩道の境に立っている電柱に赤い車が突っ込み、電柱を中心に回転し、車道をふさぐ形で止まっていました。その電柱と自転車に乗った私の距離はわずか10m、まさに「3秒」の違いでした。
 もし「3秒」遅く電柱の横を通っていたら、もし車が歩道側に回転していたら、今ごろは三面記事の中だったかもしれない。そう思うと今更ながら背筋がゾッとしました。
 決してエイプリルフールのネタではないですよ。

2005年04月08日

もうすぐ2時です

 選挙になると、夜中に寝て、早朝に起きるという生活が当たり前になります。3月前半、千葉の県議補選では、夜中1時に寝て、朝4時半頃起きていました。それに身体が慣れて、しばらくは4時半頃、自動的に目が覚めて、二度寝していました。
 早く帰って身体を休め、翌日に備えればいいのですが、あれこれとやり始めるとするべきことがいっぱいで、止まらなくなるというのが実際のところです。
 今日の福岡は日中、冬用のスーツでは汗ばむぐらいの陽気で、すでに桜も満開、早い木では葉桜になっているものも見かけました。東京に比べれば、季節の変わり方も早いようです。日も長くなりました。やっぱり日本は縦長なんですね。
 そろそろ仕事再開です。いつ終わって、今日の睡眠時間はどれぐらいなんでしょうか・・・。

2005年04月14日

「政権交代」とは何か


 「政権交代」とは一体何でしょうか。
 衆議院の福岡2区・宮城2区で12日から補欠選挙が始まりました。過去のブログに書きました通り、私は福岡2区の候補者である平田まさのりさんを応援させていただいています。
 今回の選挙は、小泉政権の外交政策や郵政民営化への国民の可否を問うリトマス試験紙でもあると言われています。民主党は「政権交代」を唱えてこの両区での戦いに望んでいます。
 平田候補が当選し、国政に出て、この国を変える一公僕となられることに私は全力を尽くしていますが、民主党の一員として、ひとつ疑問になっていることがあります。
 街頭演説などでも大物国会議員が「政権交代」「政権選択」と皆さんにお話していますが、「政権交代」とは何なんでしょうか。私は別に「政権が自民・公明党連立体から民主党に移ること」という答えを求めているわけではありません。どうも民主党の求めるものが、国民生活を今より良いものにするための手段である「政権交代」ではなく、目標自体が「政権交代」になっていて、「政権交代」の向こうに見えてくる政治の本当の姿、安全で安心な国民生活がはっきりと見えていない、ビジョンがくっきりとしていないように感じられてならないのです。
 党の中にいるものがこんな批判めいたことを言ってはいけないのかも知れませんが、しかし中にいるものだからこそ分かること、感じることがあるようにも思います。また自民党とは違うんやぞと、多くの方に理解していただくためにも、必要なことだと強く感じています。
 そして「政権交代」「政権交代」と言えば言うほど、民主党を支持してくださる有権者の心が離れていくようで、怖くて仕方ありません。小泉政権への支持が離れていくのは、例えば国民にとってあまり重要と思われていない郵政民営化を強く唱えれば唱えるほど、国民の真の心内を理解していないことが露呈されて、国民の心が離れて、支持率が低下していく。これと同じことが起こること、それが一番怖いのです。
 どんな議員であれ、首長であれ、生活者の声を聞かなければ、その存在意味はないと思うのです。
 平田さんは車椅子で1mの視線。街角や小さな集会でも有権者の声を聞こうと努力されています。「高度経済成長に向かう日本の議員は皆、国民の話を聞いた」と先輩秘書から伺いました。それは田中角栄元首相も同じで、かつ彼はそれを徹底していたそうです。今こそ政治家はあるべきその姿に戻らなければならない時が来たのかも知れません。

2005年04月15日

車いすに乗ってみて

 今日、機会があり車いすに乗ってみました。普段、平田さんが活動中に車いすで移動されているのを見ていると、大変なんだろうなぁと思うのですが、何がどれだけ大変なのかという実感はありませんでした。
 実際乗せてもらって、操作はある程度言うことを聞かせられるものの、たった3センチの段差を上がることができませんでした。
 また後ろに介助者がいるという想定で、車いすを押してもらいました。段差を降りるとき、どうしても体が前屈みになります。私は身体を十分支えられるものの、平田さんは腹筋がないので、前に投げ出される形になります。それは車に乗っていて急ブレーキを掛けられ、身体が外に投げ出されるような状態。非常に怖いのです。安全に段差を超えるため、後ろから段差を超えようとすると、後ろまで回転してしまうような気がして、恐怖感があります。
 今日のお昼に平田さんは、その5センチの段差を自分だけで飛び乗るように上がりました。私も同じことをしてみましたが、全くできませんでした。
 筋肉の付きが自分より弱い人が、車いすを操作して段差を超え、その上選挙活動をしている。どれだけ大変なことか。理解したつもりになっていた自分に、ちょっとガツンとやられた出来事でした。

2005年04月16日

未来は・・・

 今日も本当にいい天気でした。外に出る仕事が続いているので、少しづつ焼けてきています。
 今日はお昼過ぎに駅頭で平田候補の街頭演説会を行いました。会場の設営をした後、ビラ配りの役目を仰せつかりました。会場の中はすでにビラを配るスタッフが大勢いて、あまり同じところにいるのもくどいと思い、路を隔てた反対側の歩道の横に陣取りました。
 思ったよりビラの取りが良く喜んでいたところ、私が立っていた場所のすぐ近くで子どもを自転車に乗せた男性が、候補者の演説を止まって聴いていらっしゃいました。
 演説会が終わって、撤収するために歩道に立った私の隣に、その方は並ばれました。私は聴いてくださっていたことを分かっていたので、候補のビラをお渡ししました。するとその男性は私にこうおっしゃいました。
「未来はこの子のものですから、この子に渡してください。」
 確かに有権者はその男性ですが、我々が政策を唱え創ろうとする未来はその子のもの。今日もひとつハッとさせられました。
 その子は女の子で2才だとお父さんであるその男性は教えてくれましたが、お父さんの問いかけにその子は右手の人差し指を立てて私に見せてくれました。ビラを受け取った彼女は満面の笑みを私にくれました。私もうれしくなって手を振ると、彼女は振り返してくれました。そしてお父さんは私に「ありがとうございました」と言ってくれ、「こちらこそ、ありがとうございました」とお礼を言いました。
 自分の仕事は今の有権者だけに対するものではない、未来の有権者に対してもまともな政治を提供していかなければならない、それを約束する非常に重い仕事だと改めて感じました。
 あの言葉、一生忘れることはないでしょう。

2005年04月20日

1ヶ月目の今日

 今朝の目覚ましは強烈でした。6時11分に最大震度5強の地震が福岡市を襲い、それで目が覚めました。福岡での大きい地震はこれが2度目、そして奇しくも今日は前回の地震からちょうど1ヶ月。けがをされた方も数十名いらっしゃるとのことです。
 しかし、天災だけはどうやっても避けられないもの。避けられないものだからこそ、日ごろからの備えがやはりモノを言い、それが被害を軽くさせます。
 私はなぜか、寝ているとき、地震の直前2、3秒前に目が覚めます。たかが2秒前に目覚めても、と思われるかもしれませんが、されど2秒。この2秒で初期動作ができるのです。
 私の場合、まず近くの窓をどんな状態であっても全開にします。地震で建物が歪んでも外に脱出できるようにです。閉じ込められたら窓を割ればいいのですが、割ると破片が飛び散って無用なけがをする可能性があります。そのためにいつも、まずは窓を開けるようにしています。
 この癖も阪神大震災以降から自然と身に付きました。自分としては、そんなに恐ろしくはなかったのですが、潜在意識の中でいつの間にか、身に付いたのでしょう。
 余震もあります。皆様くれぐれもお気をつけ下さい。

田中眞紀子さんの演説

 今日、平田まさのり候補の応援に田中眞紀子衆議院議員がいらっしゃいました。会場の広場や周辺の道路は満員の人だかりで、まさに押し競饅頭状態でした。
 外相時代の「事件」など色々あったでしょうが、その人気は全く衰えていないように感じました。
 手前味噌ですが、今までは自分のボスであった岩國哲人代議士の演説が一番だと思っていました。独特の間合い、言葉遊びを取り入れたり、韻を踏んだりと、今の政治状況をおもしろく、分かりやすく、難しい言葉を使わず、聞く人を煙に巻くこともない演説をされ、聞いてくださった方から、いつも良かったとのお声をいただきました。
 しかし田中眞紀子さんの演説は、田中角栄元首相の血を引いていらっしゃるからなのか、数千人の聴衆の心を一瞬にして掴みました。話すことによって声の強弱を変え、口調を変え、テンポを変え、「七色の演説」と言っても良いと思いました。
 テレビなどで演説の一部が放送されているのは見たことはありましたが、実際の演説を間近で聞かせていただいたことは初めてでした。
 話が次から次へと進み、笑いどころもあり、そして候補者への応援もしっかり含まれている。自分達が訴え続けてきたことを短いフレーズの中にシンプルに分かりやすく織り込んでいる、こんな演説は聴いたことがないと思うと、これまでの労をねぎらってもらっているようで、思わず涙が出てしまいました。そのときは数千人の聴衆や周りのスタッフのことを全く気にすることもなく、恥ずかしいとも思いませんでした。
 政治家とは言葉で仕事をするもの、私は岩國代議士からそう教えられました。しかし最近、言葉自体がないがしろにされ、私が聞いていても明らかにおかしいと思う「言葉」がまかり通っています。私も完璧ではありませんが、親や人生の先輩から学び、言葉の重みを自分の失敗など痛みで知りました。言葉を間違えると、求めるものと全く逆の結果を生むこともあります。
 言葉が人をひきつけ、人の心を掴み、そして人を動かす。この仕事を選んだ以上は、言葉をもっと大切にしていこうと、改めて思いました。

2005年04月27日

戦い済んで、日が暮れて

 戦いは終わりました。結果は報道されている通りです。小泉政権に対する信任を問う選挙でもありましたが、民主党は2議席を失うことになりました。
 負け惜しみと取られるかもしれませんが、今回の選挙で小泉政権が国民から信任を得られたとは思っていません。宮城では互角の戦い、ここ福岡では大差をつけられての負けではありませんでした。小泉首相の朋友と言えども、圧倒的な勝利ではなく、とても信任されたとは言えません。
 国会では郵政民営化の天王山が目前に迫っています。民主党も候補者も、それを支えるスタッフも次の戦いに向けて、腰をすえて準備に励まなければならないと思います。

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