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2006年01月 アーカイブ

2006年01月01日

2006年の幕開けです!

 明けましておめでとうございます。 2005年は本当にお世話になりました。そして今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、昨年を少し振り返ってみようと思います。
 まず、2004年10月から埼玉県川越市に入り、1月に行われる市長選挙の準備をし、いわさき真人さんと共に戦いました。2月中旬までに後片付けを終え、川越を離れました。
 3月1日から2週間、千葉県我孫子市で千葉県議補選のお手伝いをし、1日休みを挟んで、福岡に飛びました。
 4月に行われた衆議院福岡2区補選で戦った平田まさのりさんの支援に出かけました。4月末に福岡を離れ、帰京しました。
 そして今度は夏の東京都議選。中央区で梶川やすじさんと戦いました。
 都議選が終わったのもつかの間、衆議院が解散され、総選挙となり、和歌山へ帰って来ました。和歌山2区の岸本たけしさんと活動したのが昨日の出来事のようです。
 次から次へと選挙に追われる日々でした。そういう意味ではあっという間の1年だったように思います。1番大きなことはふるさと・和歌山へ帰ってきたことでしょうか。
 いよいよ今年、私にとっては大きな勝負の年となります。どうぞよろしくお願いいたします。

2006年01月14日

県連定期大会が開かれました。

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 今日、民主党和歌山県連定期大会が開かれました。  昨年夏の総選挙で敗北を期した責任を取って、岸本たけし氏が代表を辞任し、後任に岸本周平氏が選出されました。  今日の大会に前原誠司代表も駆けつけ、1時間弱の講演とパーティーでの挨拶をいただきました。講演は立ち見が出るほどの盛況で、熱気ムンムンでした。


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 パーティー終了後は木村良樹和歌山県知事との懇談会が行われ、前原代表はそちらに出席されました。その後、松下政経塾出身の前原代表は、松下幸之助氏のお墓を参られました。

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 恥ずかしい話ですが、和歌山に住んでいながら、実は幸之助さんのお墓の場所を初めて知り、和歌山に祭られていることも初めて耳にしました。  和歌山が生んだ偉人のことを知らなさ過ぎる、そのことを恥ずかしく思い、ふるさとのことをもっと知ろう、勉強しようと反省しています。

2006年01月17日

11年が経ちました。

 やっぱり今日はこれを書くより他はありません。そうです、あの地震から11年です。
 あの日、僕は風邪を引いて寝ていました。夜明け前、突然の大きな揺れで目を覚ましたのは、言うまでもありません。
 和歌山市は震度5でした。しかし今のように強弱の区分けがなかったので、どっちに当たるのかは分かりませんが、しかし今まで経験したことのない揺れでした。揺れが収まっても安心はできませんでした。余震があると思っていたからです。
 時間が経つにつれて、日が経つにつれて、被害が明らかになりますが、自分には何もできませんでした。ただ毎日学校へ通うだけ。それが義務だと言われればそれまでですが、そのことをむなしく思っていました。
 私は、阪神以外に大きな地震に2度遭遇しています。1つは新潟の小千谷市役所の前でボランティア活動をしている時に、余震の一番大きいものに遭いました。
 もう1回は福岡西方沖地震で、仕事で福岡市内にいた時に遭いました。どうも地震を呼ぶ男のようです。
 阪神以後、寝ていても地震が来る2.3秒前に目が覚めるようになりました。大きくても小さくても、地震が来ることが分かってしまう体質になってしまったようです。でも、そのおかげで初動が早くなって、避難路を確保できるようになりました。たかが2.3秒ですが、されど大きい2.3秒です。

 そんな私の話はさておき、亡くなられた6434名の方のご冥福と、ご遺族のお心が1日でも早く癒されますようお祈りし、今日の日記を締めたいと思います。

2006年01月18日

勉強会とご挨拶回り

 昨日17日は、岸本周平さんが主宰する勉強会「LINKS和歌山(通称 周平塾)」の第1回勉強会が行われ、第1回目の講師としてローソンの代表取締役社長兼CEOでいらっしゃいます新浪剛史さんがいらっしゃいました。
 新浪さんはローソンの経営に関して、工夫された点などをお話されました。例えば、ナチュラルローソンを立ち上げた経緯、地域限定商品の販売など、一言で言えば、これまでのコンビニエンスストアーの概念を変える『発想の転換』のお話でした。これは企業経営に関わらず、政治の世界でも『発想の転換』が必要だと痛感しました。

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 今日は周平さんと一緒にご挨拶回りをさせていただきました。岡崎、伊太祁曽の方から雑賀崎まで、回らせていただきました。

2006年01月21日

郷に入れば郷に従う

 アメリカから牛肉の輸入が再開されて1ヶ月余り。自ら信頼をドブに捨てるような出来事が起こったのは、皆さんもご存知の通りです。
 日本向けの牛肉の基準とアメリカ国内の基準、この二つがあって、出荷業者と検査官がその基準を取り違えていたという、人間の単純ミスではあります。単純ミスでしかありません。確認と輸入基準の徹底のために、輸入停止を決めた政府の判断も間違いはありません。しかし、私には引っかかる部分があります。今回のことで見えた『アメリカの本音』です。
 本来ならアメリカは、「輸入基準を徹底できていませんでした。周知を徹底させます。そして、間違いの起こらないシステムを作ります。」とだけ言えば良かったのです。しかし彼らは「これは日米間の貿易上の問題で、食の安全の問題ではない。」と言ったのです。業者も「たまたま日本に着いたから問題になっただけで、カリフォルニアならそのまま流れている。」と言っています。
 つまり、「日本ではダメな部分かもしれないが、自分達は食べていて安全だ(と思っている)。だから混ざっていても大丈夫なんだから、ギャーギャー言うな。」ということなのでしょう。

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 アメリカの言っていることが正しい、アメリカの基準が正しい。だから日本もそれに合わせていれば、こんなことにならなかったのに、あー面倒くさい。これがアメリカの本音でしょう。きっと彼らは日本がこんなにも厳密に検査しているとは思っていなかったのでしょう。

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