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セルジオさんが、ある学校へサッカー教室へいらしたとき、あいにく雨が降ってしまいました。仕方がないので、バレー部の許しを得て、体育館で講義をされたそうです。その時、セルジオさんのお話がおもしろそうだと聞きつけたバレー部やバスケ部の部員達が体育館に覗きに行くと、サッカー部員は彼らに「お前らの種目には関係ないから来るな」と言うようなことを言ったのだとか。
こういう排他的なことがあると、スポーツは決して広がらないし、チームも強くならないとセルジオさん。例えば、野球でシカゴとニューヨークが戦うとなったら、シカゴ住民はその人がどんなスポーツを愛好していようとも、必死でシカゴチームを応援する。彼らの結集点は個々のスポーツではなく、シカゴという街なのだと。
甲子園に出たチームを応援するのも、野球部だけじゃなくてバスケでもサッカーでもバレーでも、種目に関係なくみんながそれぞれの競技の応援に出かけると、その学校なり地域のチームは非常に強くなる。引いてはそのことがスポーツを盛り上げることになるのだそうです。「野球は好きやけど、サッカーは嫌い」と言ってる間は決して強くならないとおっしゃっておられました。
確かにそう言われれば、どこか自分の中にも排他的なところがあるなぁと思いました。どの点を中心にして回るのか。その点が変わるだけで大きい円になったり、小さい円にしかならなかったり。セルジオさんのお話で大事なことを気付かせてもらえた、そう思いました。
勉強会が終わったあと、地元のお祭りに行ってきました。以前お世話になった方はいらっしゃらなかったのですが、その奥様がいらしたので、ご挨拶をしてきました。
午後からは第1回貴志川線祭りで伊太祁曽神社へ。
廃線の危機を乗り越えた貴志川線の、シンボルとも言える「いちご電車」のお披露目です。貴志川線の未来を”つくる”会のメンバーでお世話になってる方がいて、ご挨拶がてらお伺いしてきました。先週の伊太祁曽神社のわくぐり神事よりも人出が多く、驚きました。いつもこれぐらいお客さんがいたら、「廃線」という問題もなかったのにと思いました。しかし、「廃線」という問題が表れたからこそ、沿線に住んでいらっしゃる方が貴志川線の存在を改めて考える契機となったのも事実で、その結果がこの、生活者と和歌山電鉄の二人三脚ではないのでしょうか。
昨日はお盆で同級生が何人か和歌山へ戻ってきてるようなので、恩師をお招きして、14人で集まりました。場所は和歌山駅の近くにあって、やはり同級生の1人がやっている焼き鳥屋さんです。
一番長く会っていない人とは13年半近くぶりになります。中学卒業の時と今とではそれなりにみんな変わっていました。僕は全然変わっていないと言われましたが。それだけ離れていても、全然ブランクを感じませんでした。そのうちアルバムも登場して、アルバム写真と今の顔を見比べたりしていました。
今回の集まりが実現した陰にはSNSの力があります。SNSとは、ソーシャル・ネットワーク・サービスといって、参加者が互いに友人を紹介しあって、新たな友人関係を広げることを目的に開設されたコミュニティ型のWebサイトです。私はmixi(ミクシィ)に加入していますが、この中には出身校や趣味、興味や地域で集まるコミュニティがあります。
私の母校もその中にあったので、入らせてもらいました。このおかげで、遠くに離れた同級生ともやり取りが容易にでき、このお盆の集まりとなりました。この日は夜中まで思い出話に花が咲きました。
おとついの同窓会で一つ、残念なことが分かりました。同級生の1人が亡くなっていたのです。ちょうど私が東京にいる間のことで、存じ上げなかったことを申し訳なく思っています。
そうらしいという話は聞いていましたが、確実なものが得られていませんでした。おとついの会で確証が得られたので、お参りに行かせていただきました。
元々中学も4クラス160人しかいないので、みんなは私を知っていて、私もみんなを知っているという、非常に個々の距離が近い学校でしたから、私も当然、なくなった彼のことを知っていますし、ましてや小学校から9年間の同級生、忘れるはずがありません。
そして彼は色んな面で僕とは対照的な男でした。彼は背が高く、身体ががっしりしていたのに対して、私は背が低く、こじんまり。彼は大人しく、落ち着いていて、物静かだったのに対して、私は大人しくなく、落ち着きがなく、いつもガチャガチャしていました。だからこそ仲良くなれたのかも知れません。
今日、お線香を上げさせていただきました。遺影の中の彼は、僕が知っている彼と変わりなく、笑顔で収まっていました。違うのは動かず、しゃべらず、二次元だということだけです。
もう彼が亡くなってから4年になるそうですが、ご家族の悲しみはまだ癒えていませんでした。本当に余りにも早すぎました。おばあさんが亡くなられたことや仕事などが一時に重なって、重圧になっていたのかもしれません。「限界や」と言っていたそうですが、彼のことだから表に出さなかったのかも知れません。それに気付いてやれなかったのが悔やまれて・・・とお母さんがおっしゃっておられました。
彼のお母さんから伺ったのですが、彼は生前、お家で僕の話をよくしていたそうです。彼のお兄さんの名前に「忠」という字を使っていて、その字が引っかかったのか、「忠相が・・・」「忠相が・・・」と僕のことを話していたそうです。本当にうれしく思いました。
この間は何人かと13年半ぶりのブランクを埋められましたが、残念ながら埋めることのできない時間の溝を作っていました。これほど辛いものはありません。
途中、休憩を頂いたので、会場に来ていた同級生と会って、少し案内をしました。同級生は妹さんと来ていました。妹さんも同じ学校で、私の後輩に当たります。最後に会ったのは彼女が小学校低学年の時だったと思います。あの頃の面影を残しつつも、すっかり大きくなって、来年にはお嫁さんに行くそうです。ビックリしました。ちょうどその時、飛び入り連の時間になり、ちょっと失礼して私も飛び入りしました。のっけから振りの順番を間違い、すかさず同級生に指摘されてしまいました。休憩の後、引き続き持ち場に戻り、パレードが終わったら撤収して、ごみ拾いをし、砂の丸へと向かいました。
砂の丸の舞台でも演舞が行われ、私が行ったときは表彰式が行われていました。その後、総踊りの時間になり、3回踊りましたが、そのうち2回が総踊りの曲『YAPPA紀州』を作詞作曲し歌っている、和歌山出身ウインズさんの生演奏踊りでした。3回続けて汗だくになりながら、踊りました。ほんまに楽しかったです。
今年は3回目、年々出場チーム数もお客さんの数も増えています。和歌山の若者が中心となって、もっともっと盛り上がれる場になって欲しいと思います。よさこいがきっかけとなって、みんなが活き活きとして活気が出るなら本当にいいと思います。暑い中は結構辛かったですが、みんなが踊ってる姿には感動しましたし、みんなと踊れたのは気持ちよかったし。来年もまたお手伝いさせてください。
政治活動といえば、駅前や繁華街などでの街頭演説とポスティングです。街頭演説はちょくちょくしていますが、ポスティングは久しぶりです。プレス民主号外和歌山県連版を持って、ご近所を歩きました。
これまで、色々な選挙に携わってきましたが、まず手始めが街頭演説とポスティングでした。知名度を上げなくてはならないからです。今回のビラの中身は、先日行われた県議補欠選挙の結果をお知らせするものです。統一地方選挙ももう目の前ですし、日々の活動が大切になってきます。
近いうちには、私の経歴や活動、政策について書いたものを配布させていただこうと思っています。
8月も残り1週間、夏も過ぎ去ろうとしています。時間を大事にして活動を続けてまいります。