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2006年10月 アーカイブ

2006年10月09日

オープンカフェな秋

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 今日は京橋の上で行われているオープンカフェへ顔を出してきました。昨年から始まったこの企画は社会人と和大の学生さんが協同で行っています。  明るい時間に一度行ったのですが、夕方から、同時に行われたカメラウォーキングの発表会があり、そこに知り合いのカメラマンで地元でも活躍されている徳田さんがいらっしゃるということだったので、出直しました。  カメラウォーキングに参加された方の写真がスクリーンに映し出されます。撮ったご本人にマイクが渡され、解説や感想をお話されました。  近所であり、数え切れないほど訪れていた和歌山城の風景でも、全くどこにあるのか思い浮かばないものもあり、新鮮でした。  これを定点観測的に何年も続けて、その変化を見ていくのもまたひとつの楽しみと、徳田さんや主催者の方と意見が一致しました。
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2006年10月10日

2人の子どもはどうなるのか?

 北朝鮮による核実験の報道で埋もれてしまったニュースがいくつもあります。そのうちの一つを取り上げたいと思います。それはタレントの向井亜紀さん(41)夫妻が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(2)についてのことです。
 今日、品川区は双子の出生届を受理するよう命じた東京高裁決定を不服として、最高裁への許可抗告を同高裁に申し立てました。8日に行われた品川区長選挙で当選した浜野健氏が、法務省の示した抗告を求める方針に沿った模様です。
 現在の民法では、「出産した女性を母親とする」との法解釈があり、国は代理出産で生まれた子の出生届を受理しない立場を取っています。ところが、民法が制定された当時と今とでは、科学技術のレベルは格段に違い、今回のケースは民法の全くの想定外であったことは法曹関係者も認めるところです。
 しかし、現にお子さんがこの世に生を受け2才になり、両親と暮らしているのに、その立場はいつまでも宙ぶらりんというのはどうなんでしょうか?まずもって考えるべきは、2人の子ども達が安心して、日本国民として暮らせるようにすること、これが第一で、そのためには私は速やかに政治の「英断」が必要だと考えます。
 と、同時に法律の不作為を直さなければなりません。今国会においてでも、民法改正を含めた対応を、議論をすぐに始めるべきです。それをしないならば、それは国会が国民に対する職務を放棄したも同然で、国民に対する冒涜以外の何物でもありません。
 今国会においても、難問が山積している状況は分かりますが、刑法における時効や刑罰の引き上げを行ったように、この問題にも対処していただきたいと思います。全ては私たち生活者のために、なのです。

2006年10月16日

プロフィール

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2歳の秋、家族で母の実家がある和歌山市に移り、祖父母と一緒に暮らし始めました。幼稚園卒業までは近所で有名な「やんちゃさん」でした。

成績はお世辞には良かったとは言えませんが、学級委員や児童会の副会長をしていました。6年の修学旅行の一コマ。いつも輪の真ん中にいた気がします。

やっぱり学級代表や風紀委員をやっていました。この頃から環境問題に関心を持ち始めました。地球環境ジュニア国際会議で討論の場面。このために親に頼んで東京まで行かせてもらいました。

在学中は文化祭の企画運営などに携わりました。目立つ存在ではありませんでしたが、でも体育祭の組体操では一番前にいます。

岩國事務所では仕事のイロハから政策立案まで、幅広くありとあらゆることを学ばせていただき、政治に携わるものとして核となる物を与えていただきました。
岸本事務所勤務時代には、和歌山へ戻ってくるきっかけと、今日の活動への足掛かりをいただきました。

 

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幼い頃からお墓参りにはよく行きます。祖父母と一緒に暮らしていたからでしょうか。生まれてきたことと今日の健康に感謝し、手を合わせます。

応急手当普及員の資格を持っていて、普通救命講座の講義を行うことができます。心臓マッサージや人工呼吸など、いざという時の備えに、お役に立てればと思います。

 

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2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生しました。02年1月、がれきの撤去が引き続き行われ、焦げ臭さと悲しみが立ち籠めるニューっヨークの現場を訪れました。

同じ年の9月、対テロ戦争が終わったばかりのアフガンへ飛び込みました、子どもを診る医療施設でお世話になり、栄養失調や傷ついた子ども達の姿を目の当たりにしました。

2004年7月、福井ででの豪雨災害の復旧ボランティアとしてお手伝いをさせていただきました。5日ほど滞在し、夏の暑い日差しや日焼けと戦いながら、土砂を搬出しました。

初めて大きな地震は阪神・淡路大震災でした。私はまだ高校1年で、何もできませんでした。
2度目は新潟中越地震のボランティアとして小千谷市役所にいたとき、本震後最大の余震(震度5強)に遭いました。
3度目は2005年3月20日、福岡で補欠選挙に向けての活動中、福岡西方沖地震(震度6弱)に遭いました。自分には被害がなかったので、すぐに復旧活動へ加わりました。


政策


 長い停滞の時代から抜けつつあると言われています。しかし、私達はそのことを感じられているでしょうか。景気も他より遅れてきて、他より早く引いていく。明るい話題が少ない。和歌山はそんな停滞感でいっぱいです。行政がお膳立てをして営む市民生活の時代は終わりました。今は生活者である市民が中心となって、行政に施策を求めていく時代です。「必要なことを必要なだけ」「当たり前のことを当たり前に」やって、この和歌山を私達の手で復興・再生してみませんか?
 それが”紀州ルネッサンス”です。


 地震対策・交通安全整備をしっかり取り組みます。


 自分達の和歌山は自分達の手で。喜んでお手伝いします。


 政治にムダなお金は使いません。「視る・聞く・歩く・話す」で政治をやります。


2006年10月21日

ろうそくの火の温かみ

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 11月25日(土)には和歌山城とぶらくり丁で、竹を切った灯篭でライトアップするイベント「竹燈夜(たけとうや)」が行われます。  今日はそのプレイベントへ出掛けてきました。会場には19時過ぎに着いたのですが、ほんわかとオレンジ色のやさしい光に包まれていました。今日は少し風があり、消えてしまうものもありましたが、スタッフが見回って消えたろうそくに火を点します。この役目を私も当日します。  みんなが色々とアイデアを出し合って進めるイベント。一緒に成功させたいと思います。

 今日の午前中には、和歌山刑務所で行われていた矯正展へ行ってきました。和歌山だけでなく、各地の刑務所内で作られた家具や日用品などが即売されていました。施設見学もあり、刑務所内を見せていただきました。新築されて間もない建物で、非常にきれいでした。残念ながら所内は撮影できなかったのでお見せで来ません。受刑者の方を影で支えるたくさんの方がいらっしゃることも分かりました。

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2006年10月22日

よーい ドン!

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 今日は和歌浦ジャズマラソンを走ってきました。  本番に向けて、1ヶ月過ぎから和歌山城の周辺をほぼ毎日走っていました。10時半に私の出場する10キロがスタートしました。  走るときは靴に時間を計測するためのICチップをつけます。今まで出場したマラソンではスタートとゴールの2回、チップの通過をチェックして正確な時間を計るのですが、今回の大会はスタートが全員同じでゴールのみの計測でした。そのことを知らなかったので、最後尾から走り出してしまい、スタートゲートを越えるまで時間がかかり、ロスしてしまいました。  目標は50分を切ること。普段の練習のおかげで、舗装された路面は非常に走りやすく、たくさんの人を抜かしていきました。海を挟んだ不老橋付近の風景を眺め、ジャズを聴きながら快調に走り、ゴールしました。  結果は公式タイムで52分11、手元の時計で50分06でした。39歳までの10キロ男子で882人中277位、総合で2018人中525位でした。  5キロランには岸本周平さんが「チーム周平」を組んで参加されていました。来年もまたがんばりたいと思います。

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