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2011年08月 アーカイブ

2011年08月04日

子ども手当の廃止に思う

 2年前の衆議院選挙のマニフェストで、1番はじめに掲げられていた「子ども手当」。これがどうも廃止されるようです。
 これまで、子ども手当についての私の考えを、各所でお話してきました。今も考えは変わりませんので、改めて明らかにしておきたいと思います。
 まず、マニフェストにも掲げられた「社会全体で子育てを支える」という理念については、全く異論はありません。これからの日本社会を支えていくには、子どもという財産が必要であり、その存在が重要です。
 しかし問題は、その支え方の方法論です。私は1万3千円や2万6千円を現金で給付するというやり方は良くないと考えています。
 子育てにはお金がかかります。それを現金で渡すのではなく、現物で支給するのです。
 例えば、保育所や幼稚園の保育料、小・中学校の給食費、教材費などを、子どもの人数分だけ自治体や学校に直接支払いをし、保護者からは徴収しないという方法がベストだと、2年前から言い続けています。
 ただ、大都市圏と和歌山市のような地方都市とでは、おかれた状況が違いますので、一律にはいかないでしょう。そこは、各地域にある程度の判断権限を持たせて、実情に合った運用を行なえばいいと思います。
 大都市圏では生活インフラが整っていますが、保育施設は不足しています。和歌山市は大都市圏ほどの生活インフラではないですが、生活が苦になるほどの支障はありません。そして子育てする環境は、大都市圏よりは整っています。ぜひ和歌山市へ移り住んで下さい!と言えるわけです。
 現物支給の方が、現金で保護者に給付するよりも、直接子どもにその効果が現れると考えています。
 ぜひ、皆さんのお考えもお聞かせ下さい。

2011年08月05日

お詫び

 以下の記事中で、一部不適切な表現があり、「紀州じゃーなる」の名誉を傷つけました。該当部分を削除した上で、お詫び申し上げます。
 言葉で勝負しなければならない世界に居て、言葉で失敗してはいけないのですが、感情的になってしまった部分もあり、ご迷惑をおかけしました。今後、同様の事を起こさないよう、一層精進して参ります。
8月9日  山本 忠相

 今日、あるところへお邪魔したら「名前出てたよ」と言われました。6月議会の一般質問で子供の居所不明問題を取り上げたことかな、と思っていたのですが、2枚物のファックスを渡されました。3日に飛び込み取材を受けた「紀州じゃーなる」でした。
 まあ、コメントを都合のいいように編集され、あまりにもひどいので相手にしなくてもいいのですが、本意と違うことに解釈されても困るので、自分の本当の思いを書いておきます。
 まずは、原文をどうぞ。

「菅さんの辞任、法案ぶら下げ野党と駆け引きありかな」 ~山本忠相・和歌山市議(民主クラブ)       (平成23年8月4日)

 民主党の議員にとって今、頭が痛い存在がリーダーである菅直人首相ではないだろうか。そんな、国のトップを民主党の地方議員はどうみているのか?3日、和歌山市議会民主クラブの山本忠相議員を直撃した。
                ◇
 -民主党は政権をとってから迷走状態が続いていますね。どの地方選挙も惨敗の連続。民主党の地方議員にとっては、中央の動きが逆風につながっていますね。
 山本 はい。厳しいです。
 -ズバリ現在の首相、菅直人さんについての感想を聞かせて下さい。
 山本 今回の東日本大震災の対応の遅さがかなり批判されています。でも、大きすぎる災害。誰がやっても同じ。政権が交代していて自民が対応しても混乱していると思う。まだ、何もしないと言われながらよくやっていると思う。菅さんというより、国会がもっとしっかりして欲しいとの思いが強いですね。
 -辞任を公表した首相。未だにいつ辞任するか分からない状況。菅首相個人についてはどう思います?
 山本 菅首相を早く変えたらいいかというとそうではないと思う。辞任の3条件を掲げていますね。この条件の成立が東日本大震災の被災者にプラスになる。居座りとみせかけて自・公など野党と駆け引き、これはありかなと思う。一日も早く法案を通すことの方が大切だと。法案と辞任、ぶら下げての駆け引きは賢いやり方かなと思う。
 -最後に今の民主党をどう受け止めていますか。
 山本 与党となった民主の国会議員は若葉マーク(初心者)ばかり。一日も早く、若葉マークをはずせるようにしないと。反省すべき点はあると思う。
                 ◇
《本紙の主張》
菅首相の手法を「賢いやり方」と受け止める怖さ
 最初、民主の議員に菅首相の感想を聞けば、頭を抱えるだろうと思っていた。
 ところが、菅首相のやり方が、「賢い」と捕らえた回答には心底驚きを隠せない。
 まず、菅首相の外交問題をみても尖閣諸島問題では中国、竹島問題では韓国、ロシアには北方領土問題。これら全て、「菅は弱腰外交」として攻められっばなし。日本の領土を守ることの出来ないリーダーなんて日本国民は望んでいない。
 この時点ですでにリーダー失格の烙印が押されても仕方がないだろう。
 思いついたように、「脱原発宣言」。福島原発直後だけに国民にとっては耳触りのいい言葉だ。
 しかし、原発の代替エネルギーをどうするのかという議論がない。代替エネルギーの対策があってこそ、脱原発ではないのか。
 脱原発だけを推し進めれば、電力不足で企業の流出が起きるだろう。企業の流出、それは働く場所がなくなることを意味する。ただでさえ就職難の若者達にとって、これ以上苦しめることに。いや、企業の流出は《日本沈没》を意味する。
 「リーダーは誰がやっても同じ」 「辞任を駆け引き材料で法案提示が賢いやり方」。本気でそう考えているなら、筆者には山本議員の頭の中、《分からん》。

 さて、まず、頭を抱えるかどうか。頭を抱えてても、何も前には進まないので、とにかく動く。自分の与えられた役割をしっかりこなす。そっちの方が大事やと思っていますので、私は頭を抱えていません。
 そういう意味で、もし政権党が自民党だったら、死者はもっと少なかったか、原発事故は起こらなかったか、起こってもすぐに収束できたかという問いには、必ずしもそうだとは言い切れない、と答えるしかないでしょう。そもそも、もしたらの話をしても、あまり意味がないと思います。
 それに、この話と「リーダーは誰がやっても同じ」という言葉の意味は全く異なります。どこで一緒になっちゃったんでしょうね。
 次に、総理の居座りと法案を通すことについて。私は被災者の生活を中心に考えれば、法案は一日でも早く通すことが大事だと思っています。国会での審議が止まっていても、得する被災者は一人としていません。たとえ、総理のクビを餌に法案が通るなら、それを道具として考えれば、ある意味「賢い」やり方だと、お答えしました。
 結果として、仮設住宅の建設が進み、避難所の解消が2日でも10日でも早くなるならば、それでいいと思います。
 「民主党の地方議員は頭を抱えてる」って書けば、面白おかしい記事になるんでしょうけど、実際議員は必ずしもそうではありません。
 乱文ご容赦下さい。

2011年08月06日

和歌山市 夏の風物詩「ぶんだら&おどるんや」

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 いよいよ今年も「ぶんだら&おどるんや」が行なわれます。
 ぶんだら節は16時50分スタートです。
 おどるんやは、和歌山駅前演舞場が11時50分から、和歌山城砂の丸演舞場が16時30分から、本町バス通りのぶらくり演舞場は16時50分から開始です。
 準備も終わりました。あとは最終チェックをして、お客様をお迎えするばかりです。ぜひぜひお出かけ下さい!

2011年08月18日

欝陵島に行ってきました。

 去る8月1日、自民党国会議員3名が竹島(韓国名:独島)に近い欝陵島の視察をしようとしましたが、韓国政府に入国を拒否されました。
 正直今回の件があるまで、欝陵島という島があることや、欝陵島が竹島の入口になっていることも知りませんでした。奪われかけている自国の領土がどういう位置関係にあり、韓国とどう接しているのか、無知であったことと、自らの領土問題への意識の薄さを改めて認識し、反省したところです。
 その反省の上で、欝陵島とはどんなところか、今島内はどんな感じなのかを知りたくなりました。ならば自分の目で見よう、と思い立って、国会議員3人が入国拒否されたちょうど2週間後の15日、韓国へと向かいました。
 2001年9月11日アメリカ同時多発テロ後の02年1月にニューヨークへ、同じ02年9月にはアルカイーダに対する対テロ戦争が終わったばかりのアフガニスタンへ行きました。しばらく大きな物事の現場へ向かうことから遠のいていたのですが、久しぶりに沸々と沸き立つものが自分の中にあり、欝陵島へ行くことにしました。
 まず、そもそもどうやって行けるのかを調べるところから始まりました。途中で、島へ渡る船を運航する会社が、日本人の乗船を拒否したとの情報も得ました。またお盆休み中のハイシーズンであるため、飛行機のチケットすら取りにくい状況でした。
 韓国内の都市間を移動するため、高速バスの時刻や乗り場を調べたりすることも大変でした。韓国へ入国しても、島に渡れない可能性もあり、こうなれば実際どこまでいけるか試してみよう、という気持ちで乗り込みました。
 日程は次の通りです。

8月15日(月) 1日目
 関空→(航空機)→ソウル仁川空港→(空港鉄道)→ソウル→(高速バス)→江原道東海市(泊)
16日(火) 2日目
 東海市墨湖港→(船)→欝陵島道洞港
17日(水) 3日目
 欝陵島道洞港→(船)→慶尚北道浦項市浦項港→(車)→慶州市→(韓国新幹線)→釜山(泊)
18日(木) 4日目
 釜山空港→(航空機)→関空

 今回のこのルートは、飛行機の座席を確保してから組んだので、決して効率がいいものではありません。ハイシーズンの一番混み合う時期なので、帰ってくることを優先しました。使ったのは当然、アシアナ航空です。
 続いて、島の様子や独島博物館の様子などを別枠で記していこうと思います。なお、ハングルの翻訳に時間がかかるので、若干のタイムラグが生じると思います。
 また原則「竹島」と表しますが、「独島博物館」のように固有名詞となっているものについてはそのままで表示しますので、ご了解下さい。

欝陵島の雰囲気

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 ここでは、欝陵島の状況がどんな感じだったかをお伝えしていこうと思いますが、その前に、韓国は竹島のことを、韓国内外のあらゆるところでアピールしていることを知っていただきたいと思います。
 まず、アシアナ航空の機内。前のモニターに映し出される飛行経路図。しっかり分かるように「Dokdo」と書かれています。写真は飛行エリアが中心になっていますが、もっと引いた広い地図でも「Dokdo」と書かれていました。通常は広域の地図だと、小さい島の名前は書かれていないことが多いのですが、「Dokdo」はどの縮尺でも表示されるようになっていました。
 日本の航空会社はどうなっているのでしょうか?ちなみに、私の愛読誌であるANAの機内誌『翼の王国』では、国内線航路図には竹島が表示されていますが、国際線航路図には書かれていませんでした。

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 次に、私がソウルで移動に地下鉄を使った際、ソウル市庁駅で乗り換えをしました。1号線から2号線に乗り換える通路の真ん中に、竹島のかなり立派な立体模型が置かれていたのです。説明もハングル、英語、日本語の3ヶ国語で書かれていました。
 日本で例えるなら、東京メトロの銀座駅で乗り換える途中の通路に、竹島の立体模型が置かれているのを想像してみて下さい。残念ながら、日本ではそこまでしていません。

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 さて、ここからは欝陵島の中へと入っていきたいと思います。
 島の港周辺にはたくさんの横断幕が掛けられていました。船から港に降り立つと、真っ先に目に飛び込んでくるのが、日本語とハングルで書かれた、左の写真の横断幕です。車が前に止められていたので、非常に分かりにくい撮り方になっていますが、横断幕には「独島の問題は単純な領有権ではなく、歴史的な問題なのを、日本政府は悟らなければならない」と書かれています。
 横断幕の左端には林子平により書かれたとされる地図の画像があり、その地図には竹島のところに「朝鮮ノ持ニ」と書かれている、ということを表示しています。

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 最初の横断幕から島の内部に入っていこうとすると、またもやたくさんの横断幕が掲げられていました。
 まず左の写真で、一番上は介護施設での研修生を募集するもの。真ん中のものは、その日本語訳が下の横断幕に書かれています。
 右の写真は、一番上が日本語で書かれています。来たらバナナをくれてやるとのこと。日本の政治家はサルだとでも言いたいのでしょう。
 真ん中は禁煙運動の横断幕です。「タバコの煙は民族のため息」と書かれています。この横断幕にはかなり興味が湧きました。
 一番下は「日本の独島妄言、棒が薬だ。」と書かれています。韓国では、狂犬病の犬には棒を与えて薬にするそうです。日本は狂った犬だそうです。

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 続いて、左側の写真。次の横断幕は、バナナ横断幕の隣にあったものです。
 上の横断幕には「世界的な清浄島欝陵島に日本の放射能物質流入とは何という話か! 欝陵郡の女性団体協議会/欝陵郡在郷軍人会」と書かれています。現地では写真を撮るだけで、翻訳は帰国してから行いました。おそらく日本の政治家を汚いもの扱いしたかったのだろうと思いますが、未だに福島では多くの被災者が不便を強いられ、苦しんでいる中で「放射能物質流入」という言葉を使う感覚が私には分かりません。
 真ん中の横断幕は「日本の独島領有権妄言軍国主義の妄想だ!! 欝陵郡報勲・安保団体協議会」と書かれています。
 下の横断幕には、次のように書かれています。
「<日本政府の独島侵奪態度に怒る>
1.韓国大韓航空機の韓国領土の独島上空飛行を問題視する日本外務省は反省しなさい。
2.外交通商部は日本の国会議員の不純な入国を禁止せよ。
3.日本政府は、即、中等学校の教科書の独島歪曲を直ちに撤回せよ。
2011年8月11日 興士団独島守護本部」
 横断幕紹介も残りあと2つです。

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 左の写真は、港にある交番の建物の屋上に掲げられたものです。「日本は植民地支配謝罪し、独島の歴史歪曲中断せよ! 大韓老人会欝陵郡支部/正しく生きる運動欝陵郡協議会」と書かれています。
 そして最後は、港の公園のような広場に掲げられていたものです。欝陵島訪問を計画していた国会議員の顔にバツ印を付けて、「自民党4敵は自爆しなさい」と書かれています。
 ちなみに、この自民党4敵の横断幕は、私が翌日欝陵島を離れる際には撤去されていました。撤去した意図までは、残念ながら分かりません。

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 港から島の内部へ入っていくための3本の道沿いには、たくさんのお店や民宿が並んでいました。それらのお店には、日本を批判する何かは掲示されていませんでしたが、1軒だけ表示をしている喫茶店を発見しました。
 さて、ここまで欝陵島内に掲げられた竹島問題に関する横断幕等についてご紹介してきました。私はこれらを紹介し、ただ単にナショナリズムを煽ろうとなどとは考えていません。我々が対峙すべき相手の今の姿の一面を、リアルに見ていただきたいと思っているのです。
 私はある漁師さんとお話しました。その漁師さんは日本語が少し話せます。日本語を使いたいけど、日本語を使うと親日に見られてやりにくい。そうおっしゃられました。本人の意思とは関係なく、村社会の島で生きていくには、そういう一面もあるのだということを付け加えておきます。

独島博物館

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 さて、ここでは独島博物館について、お話していきたいと思います。
 その前に、独島博物館に展示されている、韓国側が、竹島は韓国の領土であるという証拠だと主張する多くの地図や書籍などの信憑性や歴史的検証については、ここでは行いません。私のような素人が根拠を示しながら理論立てて、韓国側の主張を論破することはできません。この点については、ご了承いただきたいと思います。
 この点について詳しく書かれているのが、島根県のWeb竹島問題研究所のサイトです。特に韓国側が有力な証拠資料だとする地図などを重点に検証しています。ぜひそちらをご覧下さい。

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 独島博物館は港から近くの山の上にある薬水公園の中に位置しています。
 私が博物館に入ったのは16日の14時過ぎでした。受付には女性一人だけ、館内には韓国人観光客が10人程度いました。示されている順路に従って、第1展示室から見ていきました。
 まず最初に、竹島の立体模型が置かれていました。先にソウル市庁駅で見たものより、はるかに大きな模型でした。そして、その展示室ではたくさんの種類の地図が並んでいました。

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 その多くは日本で描かれたものであり、朝鮮全図の中に竹島が描かれたものや、国別で色分けしたもので朝鮮と竹島が同じ色で塗り分けられている地図などでした。
 つまり、日本で描かれた地図で、朝鮮の地図に竹島が入っていたり、同じ色で塗り分けられているのは、日本人が竹島を朝鮮のものだと認識していた、という論法に持っていきたいようです。

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 第2展示室では、日本がいかに不当に竹島の領有権を主張しているかということを、韓国や島根県の公文書を証拠として、展示していました。
 第3展示室では、韓国国民が日本の不当な占拠といかに戦ってきたか、その武勇伝を展示していました。

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 1階のロビーに戻ると、液晶テレビが壁に掛けられていて、そこでは韓国のテレビ局であるKBSが竹島のライブ映像を流していました。この映像はKBSの特別ページで見ることができます。
 同じロビーには絵や写真、韓国で発行された竹島切手なども展示されていました。その中には、韓国が竹島に建てた灯台と国旗の写真もありました。これが竹島の現状を把握するのに一番端的なものだと思い、その写真を撮ってきました。
 かなり徹底的にやっていることが分かっていただけたと思います。

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 そしてもう一つ。実は、実際独島博物館へ行ってみて、非常に怖いと思ったことがあるのです。それは、左の写真の石碑です。ご覧になっていただいて分かるように、「對馬島本是我國之地」と書かれています。対馬は韓国のものだと言っているのです。石碑の土台には地図と文字が彫られています。同じ地図の説明が博物館の案内書にあるので、それを記します。


「朝鮮國地理圖所在の八道總圖」(1592年)
壬辰倭亂当時、豊臣秀吉の命令で九鬼喜隆などが製作した地図で、八道總圖と江原道別圖に于山島(独島)と欝陵島が描かれている。これは現在発見された日本の地図の中で最初に欝陵島と独島を韓国の領土に描いたものである。

 日本が作らせた地図の中に欝陵島と独島が韓国の領土として描かれている。その地図に対馬島も描かれているから、対馬も韓国のものだ!という論理のようです。
 ここから考えられるのは、
①最近、対馬の土地が韓国資本によって買われていることから、本気で対馬も取りに来る。
②対馬の土地を買い、実効支配して領有権を主張するが、対馬の土地を返還する代わりに、対馬の土地に見合う金銭と、竹島に対する領有権の放棄を求める。
ではないかと考えたのです。考えすぎならいいのですが、絶対ないとは言い切れないのです。この石碑は、いつ設置されたか分かりませんが、非常にきれいなもので、最近設置されたものではないかと思われます。
 そう考えると、一層怖くなりました。私の勝手な思い過ごしならいいのですが。

2011年08月27日

代表選が始まりました。

 民主党代表選が始まりました。政権交代後、2年弱の間に3人目の総理・代表が誕生しようとしています。
 もうええかげんにせえ!という怒りの声、どうでもいい。という落胆の声、誰がやっても一緒。という無関心。様々な国民の思いの中で、5人が立候補をしました。
 そして、今回もまた任期途中の代表選であるため、一般の党員やサポーターだけでなく、私のような党所属の地方議員も投票に参加できません。県連にも投票権がないため、私達の声を託す、代理するものは何もありません。
 せめて県連に1票だけでもあれば、すぐに県連の投票用紙を県内の党員・サポーターに送り、声を聞いて、生かすことができます。たとえ候補者の名前を書かなくとも、ご批判やご意見を書いて下さるかもしれません。それもまた声です。しかし、それさえもできない。
 国会議員だけで決めるのは、確かにスピードは一番速いです。しかし「民主」的ではありません。今まで同じことを何度も繰り返してきました。なのに全く改善されない。この点には憤りを感じています。

 さて、今回の代表選では、私には一票はありませんが、もし投票できるなら誰を選ぶか。私は馬淵澄夫候補を選びます。
 これまで国会で秘書をしてきた中での経験、それ以降見てきたものなどを総合して決めました。
 確かに3期目と、総理になるには経験は浅いと言われるかもしれません。しかし、パフォーマンスに走らない、一つひとつ詰め将棋をするような、今一番国民が欲している人格の人ではないかと思うのです。
 今回の代表選で、私の手元にまで、候補者側から政見が届いた唯一の候補者です。色々ご意見はあろうかと思いますが、馬淵候補者の政見をご覧になって下さい。

国民一人ひとりのため、私は逃げずに立ち向かう

衆議院議員 馬淵澄夫

 3・11で日本は決定的に変容してしまいました。津波ですべてを洗い流された東北の農山漁村の光景、原子力災害で不幸にして行き場を失わざるを得なかった福島の住民の皆さんの姿をみて、明治維新以来幾多の困難を乗り越えて積み重ねてきたわが国近現代の歩みを見つめ直さなければならない、と感じた方も多いのではないでしょうか。あの大震災のとき、どんなに生活が豊かで便利になっても、私たちは人と人とのつながりのなかでしか生きられないのだ、という当たり前のことを私はしみじみと感じました。6人の子どもを持つ親として、両親と妻の母親と暮らす大家族の一員として、人と人とのつながりこそ、これからの日本の復興・発展のための基礎となる不変の価値観、拠り所なのだということを再認識致しました。

 今、国民一人ひとりが家族のようにお互いに身を寄せ合って、地域のみんなで協力しながら、逞しく、そして凛として復興に立ち上がろうとしているときに、わが国の政治の有様はどうでしょうか。こういうときこそ、前例や既成概念を超えて、思い切った対応を、スピード感を持って実行することが必要です。政治家は、逃げたり、あるいは行政のせいにするのではなく、全責任を背負う覚悟で仕事をすることが必要なのです。それが、私たちがあの2年前の暑い夏、全国で国民に訴えてきた「政治主導」の政権運営であり、「国民の生活が第一」ということであったのではないでしょうか。残念ながら今の私たちの政権運営は、政権交代の原点からかけ離れており、胸を張って国民に報告できるものではありません。

 政権交代前の私たちがなぜ国民から期待されたのでしょうか。私たちは結党以来、常に、天下り、税金の無駄遣い、耐震偽装や道路整備の問題に見られる際限なき裁量行政、あるいは不作為の連鎖による無責任体制を地道に調査し、国会で質し、長きにわたる政権支配で腐敗しきってしまったこの国の権力構造を変えることを訴え、国民の皆さんから支持されてきました。そして、国民の皆さんにマニフェストを提示し、実現を約束して参りました。これまでマニフェストが実現できなかったのは、マニフェストが正しくなかったからではありません。マニフェストを実行するための政権運営体制を、旧政権下から大きく変えることができなかったからです。「政治を国民の手に取り戻す」ためには、この二年間の反省を踏まえて、民主党らしい「政権運営の型」を作り、規律・規範に基づいた、国民生活のための政治行政を実現しなければならないのです。

 国難の時にあたって、400名を超える私たち民主党議員は、傍観者であってはなりません。今なおがれきが残る中、避難所生活を余儀なくされる被災者の皆さん、放射能の影響におびえながら生活する福島県の皆さんの現状に、私たちも大きな責任を負っていることを自覚しなければなりません。だからこそ、党利党略との決別に向けた政治の刷新、民主党政権の出直しのために、全党一丸となって立ち上がるのが私たちに課せられた歴史的使命ではないでしょうか。

 私は、三十代前半で当時最年少の上場企業役員として働く機会を持ちました。企業経営では、社内で派閥争いをしていては、士気は上がりません。経営者がパフォーマンスばかりをやっていても、業績は上がりません。リーダーたる経営者は、高い意識を持って誰よりも困難な仕事に率先して取り組み、さらには社員が失敗を恐れずに全力で仕事に取り組める環境を作っていくことこそが最大の使命であるということを学びました。私は、民主党に足りないと指摘されるのはこうした「経営」実践であると思っています。会社の経営経験が、国家の経営に反映されるべき時が来たのではないか、生き馬の目を抜くビジネスの世界で身につけた経験と力が、混沌とした政治状況を収めるのに役立つのではないかと考え始めました。当選回数の少ない私の挑戦は、永田町の常識からは外れているかもしれません。しかし、私は「新しい次代のリーダー」となるべく社会経験を積んできたつもりです。1998年に民主党が結党され、10余年で念願の政権交代を果たしました。会社でいえば、創業から上場に到ったところです。私は、これまでの代表経験者と違い民主党以外の政党に所属したこともなく、生粋の民主党の国会議員として政治活動をして参りました。そんな私は、諸先輩方の経験やご見識を最大限に生かし、党内をひとつにまとめて、民主党をそして日本の政治を立て直すことの先頭に立っていきたいと考えています。

 私は、絶対に逃げない。私は絶対にぶれない。これが民主党再生の最後のチャンスと思って、この戦後最大の国難に立ち向かうために、すべてを賭けて戦ってまいります。


政権政策

~慈しみの心で分かち合う国へ~

 震災、経済危機、そして、地域や貧富の格差。いま人々の心に、不信と不安が渦巻いている。国難に直面した今、国民一丸となって復興に立ち上がれる国を作らなければならない。成長を取り戻し、国民生活を底上げし、格差を縮小し、日本国民がひとつになって、それぞれの役割を果たし、助け合う国をつくる。人に対する尊厳をもって、慈しみの心で、総和としての恵みの豊かさを分かち合う国へ。

 1.二つの国家的危機を脱する 

【①東日本大震災からの復興、原子力災害の収束】

○復興庁に強大な権限と独自財源を 各省縦割りを超えた強大な権限と独自財源を持った復興庁を年内に設置し、被災地に副大臣・政務官を常駐させる。

○被災地に国家プロジェクト特区 地域分散型の電力供給、省エネ環境住宅、最先端の農業・医療等を世界に先駆けて実現する国家プロジェクト特区を、復興のシンボルとして被災地に設置する。

○原子力災害対策を一元化、世界の英知を結集 原子力災害・放射能被害に対応する組織を一元化、世界の英知をも結集し、国が前面に立って事態の収束を果たす。

○国の責任で原発被害に対処 こどもや健康への影響、汚染がれきや土壌の処理、農林水産物への被害等に、国が最終責任を負い、大胆かつ迅速に対処し、最大の透明性・情報公開で国民のみなさんと国際社会からの信頼を取り戻す

○安易な増税に頼らない復興 1000年に1度の天災から世代を超えて復興するとの観点から、その財源は長期償還の国債や無利子非課税国債等でまかない、安易な増税には頼らない。

【②世界経済危機からの脱却】

○積極財政で経済危機に立ち向かう 平成23年度第3次補正予算と平成24年度予算は、急激な円高・株安や世界経済の不透明感を踏まえ、機動的に積極的な予算編成を実施する。

○大胆な金融緩和でデフレ脱却 長期デフレからの脱却と円高の是正を目指し、3年間の集中デフレ脱却期間を設け、マネーサプライの増加など大胆な金融政策を駆使してマクロ経済政策にあたる。

○経済の司令塔「経済戦略会議」を 主要閣僚、日銀総裁、経済界、労働界、学識者等からなる経済戦略会議を司令塔に、オールジャパンで経済政策の基本戦略を策定する。

○財政再建と社会保障の安定 2010年代半ばまでに経済を安定成長路線に乗せ、自然増収を確保する。その上で、中期かつ複数年を枠組みとする財政再建に着手し、医療、介護、年金等社会保障制度の抜本的見直しを図る。

 2.世界の先頭に立つ地域分散型国家へ 

○「脱・原発依存」、「国策から国責」へ 原子力発電所の再稼動には、新たな厳格な規制体制の下で安全性を徹底的に確保する。耐用年数の経過した原子炉は段階的に廃炉し、「脱・原発依存」のエネルギー政策へと転換する。再処理方針はまず凍結とし高速増殖炉もんじゅ等の核燃料サイクル政策は抜本的に見直す。

○「生活の安全保障」 地方の活性化に向け、農村の6次産業化、再生可能エネルギーを活用した地域分散型の電力供給等に政策資源を重点投下する。日本の豊かな水、肥沃な土地、そして四季折々降り注ぐ太陽といった固有の資源を最大限活用した「未来型食料・エネルギー供給体制」を作り、そこから新たな環境調和型の産業を生み出し、地域分散・循環型の持続可能な産業を実現する。

○危機管理型「首都機能強化」と危機管理本部 危機対応のための専門組織となる危機管理本部(仮称)の整備、首都機能を強化し国家としてのサバイバル機能を強化する。また、首都機能バックアップ都市の整備を図る。

○日米同盟基軸にアジアの安全確保 日米同盟を基軸とし、新たなアジアの安全保障リスクに対応できる安全保障体制を構築する。海上警察権の見直し等により様々な事態に毅然と対応できる体制を整備する。

○経済重視の実利外交 米国、ヨーロッパとのバランスを取った経済連携を行うとともに、中国・韓国・ASEAN・インド等の成長を取り込むことが可能となるアジア中心の経済連携協定の締結を促進、人的交流を深めるなど、現実主義に基づいた実利外交を展開する。

○中長期ビジョンとしての「ひとづくり」「ものづくり」「くにづくり」 技術、環境、教育、観光等を、ニッポン復興の中長期の基幹として位置づける

 3.「ねじれ国会」を超えるための国家のガバナンス強化 

○ねばり強い国会運営 「大連立」について選択肢を排除するものではないが、現在の政権の枠組みを維持することを前提として、立法府たる国会において政策本位の丁寧な政党間協議を積み重ねる現実的対応を忍耐強く続けることから逃げない。

○政治主導確立のための機能強化 「国家戦略スタッフ」「政務スタッフ」として国会議員、官民の優秀な人材を政治任用する。これにより、政権交代当初に企図していた国家戦略局、行政刷新会議等内閣周辺組織の機能強化を図る。

○政府と党の連携 各省の政務官の一人は国会との連絡調整に専念するものとし、党国対・政調とともに与野党間協議を行う。

○議員立法の充実、政調での法案修正 政調の各部門会議では、野党とも協議しながら積極的な議員立法の作成、政府提出の法案の修正を行うこととし、役所からの報告や勉強の場に加えて、国会対応と一体となった緊張感のある実質審議の場へと役割を強化する。

○党の機能を強化、国の「営業本部」に 政調、国対を束ねる党執行部と官邸・政府の連携を緻密に行い、党執行部は会社で言えば「営業本部」として、一方で国民各層の意見を幅広く吸い上げ、また一方で政府の活動を報告し、各党との調整協議を行うなど対外関係を取り仕切る双方向型組織として機能強化する。

○郵政改革法案の成立 与党3党の最重点合意事項であることはもとより、現在の4分社化では、国民共有の財産である郵便局ネットワークが崩壊してしまう。国会対策上のあらゆる手段を講じることによって、臨時国会で成立させる。




2011年08月29日

野田さんが新代表に

 皆さんすでにご存知の通り、今日民主党の代表選挙が行われ、5人の候補者に対する投票と、その選挙での上位2名による決選投票の結果、野田佳彦候補が民主党の新代表に選ばれました。
 投開票の様子を、県連事務所にて、〆木幹事長とともに見ていました。今回の選挙では、国会議員のみに投票権が与えられました。私は党の地方組織の一端でありながら、今回の選挙に関わることはできませんでした。これは非常に残念です。県連に投票権は与えられていなくても、党員・サポーターの皆さんにご意見を聞くための、何らかの行動を起こせば良かった、とも思っています。
 とにかく、被災地の復旧復興、被災者の生活再建、そして和歌山を含めた被災地以外の経済的影響を最小限に食い止めることが、新代表・新総理に求められると思います。
 確かに財源は必要ですが、それを増税で賄うのは簡単だけれども、ボディブローのように、徐々に国民の生活に悪影響を及ぼすと思います。増税なき財源確保を何とか考えていただきたいと強く願います。

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