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2008年11月 アーカイブ

2008年11月01日

霜月、そして…

 早いもので、今年の月めくりカレンダーもあと2枚となってしまいました。1年が経つのをますます早く感じるようになってしまいました。
 選挙が遠のいた(と見せかけているだけかもしれませんが…)ことで、急に今月の日程がボコボコと入ってきました。選挙があるから何も入れたくないと思っていたら何も入らず、遠のいたから大丈夫と思ったら入ってくる。人の想いを読んでるんですかね。

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 今日は岡田克也副代表が和歌山に来て下さいました。橋本の講演会、粉河の街頭演説会の後、和歌山入りです。今日の講演会には700名もの方がいらして下さいました。ありがとうございました。
 私は党本部や県連のホームページに載せていただくための写真を撮り、講演の内容をメモして、原稿に起こすスポークスマン役です。ぜひ、そちらもご覧になって下さい。

2008年11月02日

小春日和

 今日は本当に暖かい一日でした。ちょっと車に乗る用事があったのですが、少し暑いぐらいで、クーラー入れるのもなぁと思い、窓を開けて走りました。心地よい風が入ってきました。
 北九州市で1月に行われる市議選に、友人と言うよりは戦友が立候補します。10月末に民主党の公認が取れたそうです。西日本新聞に後姿が掲載されたとのことです。早速記事を見てみたら、衆院選のあおりを受けているようです。今月中には一度激励に行こうと思っています。

2008年11月03日

楽しかったひと時

 今日は文化の日の祝日で月曜日です。和駅での街頭演説が出来ませんでした。明日はいつも通り、市駅前でやります。
 今日のお昼は「アリランまつり」に来賓として呼んで下さいました。皆さんの前で挨拶させていただき、約7年前にソウルへ行った時のエピソードや、和歌山市が済州市と姉妹都市になっていることなどをお話させていただきました。
 その後は「平和ビビンバ」と言って、ビビンバを日韓、そして中国を加えた3者で一緒に混ぜると言うセレモニーがあり、そちらにも出させていただきました。
 それからは食事タイムで、先程のビビンバやチヂミ、春雨などをいただきました。そして、韓国舞踊やハンドベル、ギター演奏などで楽しませていただきました。
 会の最後は抽選会で、くじ引き役兼プレゼンターまでさせていただきました。当たらなかった人、本当にごめんなさい。とても楽しかったです。

2008年11月04日

バルーンアートを習う

 昨日は祝日でしたので、今週は朝の駅頭が今日だけになります。今日の市駅前が大混雑でした。
 いつものようにしゃべっていると、制服の警察官や私服警官と思しき方々が集まってきました。何が始まるんやと思っていると、逃亡犯検挙にご協力下さいと書かれた看板と、犯人の顔が載ったティッシュを配り始めました。お巡りさんがいっぱいいると何となくやりにくい感じがしました。
 そうこうしてると、近大和歌山高校の生徒がいっぱい集まってきました。どうも遠足で大阪に行くそうです。知っている先生もいらっしゃいました。手を振ってみんなを見送りました。
 続いて婦人防火クラブの皆さんが、住宅用火災報知器普及のティッシュを配ってらっしゃいました。こんな感じで、今日の市駅前はてんこ盛りでした。
 今日最初の日程は、委員会の正副委員長打ち合わせです。まだ具体的な中身はお話できませんが、色々と細かい条件がくっついていて、調整の難しいことがたくさんです。
 この次が連合との会議だったのですが、打ち合わせが思いの外長引いて、会場へ着いたときにはほぼ終わっていました。
 議題とは全く関係ない、以前からお願いしたいことがあり、お話してみました。連合の中にも青年委員会というのがあり、若い人の集まりがあります。私も県連の青年局長という役職をいただいているので、他の20・30才代の人がどんなことを感じ、考えているのかを聞く機会が欲しくて、私の考えを伝えました。近々役員会があるそうで、そこに呼んで下さるそうです。これをきっかけに、色々な若い人が話せる場を作りたいと思っています。
 お昼は、選挙のときに応援して下さったお店へ久しぶりに行ってきました。夜は寿司居酒屋ですが、ランチも出しています。今日は渦潮巻き定食890円をいただきました。お店へ入ったとき、店内には4人の中年の女性客がいらっしゃいました。女将さんが「先生、いらっしゃい」と言ったのを聞いたある方が「何の先生をされてるの?」から始まって、全体を巻き込んで政治談議になってしまいました。なかなかそんな機会はないので、しっかりお話させていただきました。

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 夜には青年会議所の08年度の方の委員会がありました。来週16日に外部との交流事業があるのですが、その打ち合わせと準備をしました。
 それぞれ分担を決めていて、私はバルーンアートの担当になりました。しかし、やったこともないことを言われても…と思っていたら、先輩が教えてくれました。入門編でプードルを教えて下さり、担当になった全員で作りました。16日の交流でキーとなる花の作り方も教わりました。
 空気の入れ加減が難しく、いくつか割っていました。写真は私が作った犬と花です。出来栄えはいかがでしょうか?

2008年11月05日

アメリカは変わるのか

 事前の前評判通り、アメリカの大統領選挙は民主党のオバマ候補が圧勝しました。
 ニュースを見ていましたが、オバマ候補の得た選挙人の数が次々に増えて、あっという間に300台に乗ってしまうほどの勢いでした。今回の選挙で、アメリカはどのように変わっていくのかに興味があります。
 今回の選挙は前回に比べてもかなり多い選挙登録の数、高い投票率が一つの特徴だと言えます。そして、その高い投票率を支えたのが20・30才代の、いわゆる若者と呼ばれる層の参加です。今回のアメリカの選挙を分析して、どうすれば若い人が選挙に行くのか、考えてみたいと思います。
 今日は県連の会議や打ち合わせ、週末に訪問する北九州市議選に出る戦友に渡す檄文を書きました。

2008年11月06日

64.1%ですか

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 私が編集委員をさせていただいている市議会だより。9月定例会号の早刷りが出来てきました。11日の4大紙朝刊に折り込まれます。ぜひご覧下さい。
 今日は午前中に支援者回り、午後は県連と議会、周平事務所と渡り歩きました。夜は、2月に行われるNPOフェスタの実行委員会があり、出席しました。
 昨日、アメリカ大統領選挙の高い投票率について、お話しました。最新の情報では、投票行動を研究している学者の話として、64.1%にまでなると報道されています。この数字は最近100年間で最高の数字です。近年で高いものでも、1960年の63.8%です。
 もう少しすれば、詳しい分析が出てくると思いますが、高い投票率はとてもうらやましく思います。

2008年11月07日

今日したことなど

 今日はまず朝一で周平事務所へ行きました。午前中いっぱい、昨日の仕事の続きをしました。
 お昼ごはんを食べた後、喪服に着替えてお葬式に参列。その帰りに、議会の控室から電話があって、私にご指名で相談したい方がいらしてると連絡があり、30分はお待たせしてしまう旨を伝えてくれるようにお願いして、着替えに帰り役所へ。
 お話を伺えば、成年後見人についてのご相談でした。役所の中の詳しい方が研修でいらっしゃらなかったので、お預かりをして月曜日にお返事することになりました。
 それから県連へ行き、選挙情勢などについてミーティングのような形で、ざっくばらんに話しました。それが終わった時点で、17時半過ぎ。旅行会社で関空行きリムジンバスのチケットを買って、帰宅でしました。
 この週末は北九州へ行ってきます。

2008年11月08日

北九州 応援の旅

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 今日と明日は北九州にいます。来年1月23日告示、2月1日投票の北九州市議会議員選挙に、戦友2人が立候補を準備しているので、その激励に来ました。今日と明日で1箇所ずつ訪問します。
 今日は八幡西区で戦う大久保無我さんの応援です。お昼過ぎに事務所に着いて、ご両親や支援者の方にご挨拶させていただきました。それから2つの商店街を2人でご支援のお願いに回らせていただきました。
 17時半ぐらいまで商店街を回り、移動して今度は住宅地をポスティングです。しかし、結構な雨が降ってきて、1時間も出来ずに終了となってしまいました。
 夕飯は大久保さんと、明日行く、小倉北区から出る予定の永岡啓祐さん、永岡さんのお手伝いをしている大久保さんの同級生の方と4人で食べました。当然酒抜きです。
 その席では2人の情勢や、これから作るビラの案を見ながらどうすれば効果的になるか、作戦会議をしました。
 写真は仕事の電話をする大久保さんです。明日は永岡さんの応援に行きます。

2008年11月09日

北九州2日目

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 今日は昨日の続き、北九州での応援2日目です。小倉北区から出馬予定の永岡啓祐さんのところに来ました。
 わざわざ永岡さんがホテルまで迎えに来て下さり、その足で、小倉北区を含む福岡10区から衆議院選挙で公認を受けている城井崇さんの事務所を表敬訪問しました。
 それから永岡さんの事務所へ。永岡さんの奥様と後援者の方が出迎えて下さいました。それから行動の手順を確認して出発です。
 永岡さんを応援してくれるかもしれない方の名簿を回って、ご支援をお願いしていきます。後援者の方は初めてと言うことで、しばらく私と一緒に回ってやり方をつかんでもらって、分かれて行動しました。これでこれから一人でも動いてもらえるようになります。
 日曜の午前中ということもあって、お家にいらっしゃらないのか、お休みになっていて出られないのか、応答のないところが多かったです。2時間半ほどかかって、予定していたところは全部回りました。
 事務所に戻ってきてお昼を食べ、永岡さんと2人で短期決戦に向けての作戦会議をしました。残された時間はそんなにないので、出来るだけ効果の大きいことを効率よくやるためのヒントを、自分の選挙の失敗例を披露しながら話しました。
 そんなことを言ってるうちに時間が来てしまいました。戸畑駅まで送ってもらって、硬い握手をして別れました。写真は戸畑駅のホームから見えた橋です。とても立派です。こういう風景を見ると、海峡沿いの街だと感じました。
 福岡空港から関空まで、ボンバルディアで移動です。今年は本当によくボンバルディアに乗りました。1月23日から戦いが始まります。また応援に出かけたいと思っています。
 それと近大和歌山高校のサッカー部が県大会で2年連続の優勝、全国大会への切符を手にしました。年末年始は応援に出掛けます。

2008年11月10日

「給付金」って何ですか?

 先日、麻生総理が3年後の消費税率引き上げとセットで発表した「給付金」の案。
 一人当たり1万2千円、18才以下と65歳以上の方には8千円を上乗せして一人2万円を出すというものです。総額2兆円、消費税で言うと1%分のお金を使うことになります。
 給付金の原資は国の予算のうち、すぐに使わないらしいお金。一時期流行った「埋蔵金」を充てるという話もあるようです。
 しかし、冷静に考えてみれば、この2兆円はどっかから降って沸いたお金ではありません。元々私達国民が収めた税金です。「埋蔵金」といえども、始まりは税金。「給付金」という名前は、いかにもお上が民に「くれてやる」という意思が含まれているようで抵抗があります。名前だけじゃなくて、制度の対する意識も同じかもしれません。
 閣内でも、分け隔てなく国民全員に配るのか、所得の高い人は除外するのか、意思統一が出来ていません。そんなものを強行する意味があるんでしょうか。そして、あえてこの時期に行うこと。なんか「給付金」という名を借りた合法的な選挙の買収に思えてなりません。
 穴を開けた予算は、結局私達国民がその穴埋めをしなくてはなりません。表には1万2千円の給付金と書いてあっても、裏返せば3万円の借用書になってるんじゃ意味がありません。後々返さなくてはならないのなら、いっそ給付金なんかない方がいいと思います。
 世帯ごとの収入の計算を市町村がまとめるのは難しいという話が出れば、所得の高い人は辞退してもらえばよいと、主導権を投げてしまう。これは制度やシステムとは言えません。
 皆さんはこの「給付金」について、賛成でしょうか?反対でしょうか?ぜひご意見をお伺いしたいものです。

2008年11月11日

今日の動き

 昨日はいつものように和駅で、今朝は市駅前で街頭演説を行いました。今日は、麻生総理が発表したいわゆる「給付金」と3年後の消費税率上げについてお話させていただきました。
 消費税については、経済状況が好転すればという条件付きですが、3年後には税率を引き上げる。では、なぜ「3年後」なのか、その説明は麻生総理の口からもどこからもありません。来年じゃない、5年後じゃない理由があるように思うのですが、それは国民に聞かせてもらえないのです。おかしいと思います。
 今日は午前中に会議が1件あり、お昼過ぎには県の選挙管理委員会から、色々と問題になっている選挙にかかる公費負担の制度について説明を受けました。
 市の当局から、新保健センター建設についての概要と、中学校の先生が生徒の個人情報の入ったパソコンなどを盗難にあった件の報告が参りましたので、データベースに置いておきます。

新保健センター建設について

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2008年11月12日

都市計画審議会など

 今日は第69回の都市計画審議会が開かれました。今回の審議会では、美園町の再開発事業について、材料費の高騰による計画変更を認めてほしいという件、そして生産緑地の認定を求める件の2案件が審議されました。その後、県連や周平事務所へ行き、少し仕事をしました。
 夜には、よさこい祭りの来年度に向けた1回目の準備会が開かれました。22日には城ロック、23日には城フェスタの最終日で、食祭とおどるんや秋祭りが行われます。その打ち合わせをしました。
 そろそろ12月議会での、一般質問の準備も始めています。どうにか2つの事柄に絞れそうです。

2008年11月13日

居心地の良い時間

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 昨年に引き続き、今年もNTT労組退職者の会和歌山市協議会の総会にお招きいただきました。ありがとうございました。
 総会では会社や組合の幹部の方、藤本県連代表や岸本さんが挨拶されました。その後の懇親会では、会員の中でサークル活動としてされている詩吟や民踊の披露、手編み作品の展示が行われました。その後のカラオケでは、お粗末ながら私も1曲歌わせていただきました。
 会員の方から昨年の総会を記録した、写真にあるDVDをいただきました。拝見させていただきます。
 15時前までとても楽しいひと時を過ごさせていただきました。年齢的には会員の皆さんのお子さんと同じようで、とてもかわいがって下さり、居心地がよかったです。
 それから、よさこいの事務所に行き、少し話をして、議会へ。議会ではメールのチェックや調べものなどで、すっかり日が暮れてしまいました。

2008年11月14日

永峰さん

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 このホームページのトップの写真や、「紀州ルネッサンス」のページにある市民と談笑している写真を撮って下さった方がいらっしゃいます。お名前を小林永峰さんと言います。
 永峰さんは主にチベットで撮影をされています。ちょうど今の中国との紛争でも、現地に入られて撮影に臨まれました。また代表作で、都会の中の桜を被写体に、その一瞬を切り取った作品群はコンテストで高い評価を得て、賞に選ばれています。
 最初お願いしたときは、人のポートレートは撮らないからと断られました。しかし、何とか普段の私を知っている人に撮って欲しいと懇願して、承諾して下さいました。
 永峰さんとの出会いは、私の秘書仲間が、秘書をする前に某新聞社でバイトしていたときのバイト仲間です。ある選挙でチームを組んだときにお会いしました。当時のチーム3人と永峰さんとで飲みながら、政治談議に花が咲いたというか、咲きすぎて大激論。「その考え方は間違ってる。」「そんなのは見解の相違や、話にならん。」と口ゲンカ近くまでヒートアップしてしまいました。
 こんな奴とは二度と口も利かんと思っていたのですが、別の秘書の失言により、中の悪いはずの二人が一転タッグを組んで総攻撃。そして朝まで酒を酌み交わす仲になりました。
 私の写真を撮っていただいた時、ほんの少しばかりだったのですがお礼をお渡ししたら、そのまま飲みに行こうということになり、アシスタントの方と3人で明け方まで飲んで、ほとんど使ってしまわれました。そんな豪快な方ですが、写真は繊細で緻密です。
 今回は陶芸をやっておられるお父さんとの初の親子展が開かれ、行かせていただきました。お父さんは登山が趣味で、写真のかわいい登山靴型ストラップを作ってらっしゃいました。気に入ってしまい、2ついただきました。そしたらお父さんから湯飲みを頂戴してしまいました。恐縮です、ありがとうございました。
 今回は移動の都合でゆっくり出来ませんでしたが、断酒が解けたら一杯やれたらと思います。

2008年11月15日

緑と歴史を残す取り組み

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 今日は埼玉県志木市へやってきました。おそらく日本で初めての、既存樹林を活かしたマンションの開発が行われ、その経緯を教えていただき、現状を見に来ました。
 このマンションは「志木ガーデンヒルズ」といい、慶應志木高校旧学生寮の跡地に建てられました。慶應義塾の先輩である松永安左ヱ門氏によって寄贈された敷地に、志木高校の前身となる慶應義塾農業高等学校が設置されたところから始まります。農業学校だったので多くの樹木が植えられていました。寮の取り壊しとともに、民間企業へ売却されマンションの建設計画が持ち上がりました。
 そもそもこの地には、幕府老中で上水道工事を取り仕切っていた川越藩主松平信綱が整備した野火止(のびどめ)用水があり、農業が盛んで多くの自然が残されていました。そのような歴史的経緯もあり、近隣の住民は旧寮跡地にある緑を守ろうと運動を開始しました。
 一般的にこのような運動では、住民の建設反対の意思と、業者の建設促進の意思がぶつかり合って、最終的にお互い妥協点を見つけるというものが多いと思います。ところがこの志木市の場合、近隣住民は最初から建設には反対しない、しかし緑は何とか残して欲しいという、今までにないケースだったのです。
 住民と業者、行政の三者がテーブルについて話し合いを重ねた結果、今までに例を見ない既存の樹木を伐採せずに残したままで活かしたマンションが建設されました。
 今回のフォーラムでは、緑を守る運動をした近隣住民だけでなく、建設した会社の方、志木市の当時の都市計画課の方、今マンションに住んでいる住民の方など、マンションを取り巻くあらゆる立場の方のお話を伺うことが出来ました。

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 このマンションのもう一つの特徴は、野火止用水に近い建設用地の一部を一般に開かれた公園として整備し、30年間志木市に無償貸与するというものです。そうすることで、この地にあった緑をマンションの住人だけが享受するのでなく、他の市民と共有することが出来るようになりました。左の写真がその場所です。近くにお住まいの方が散歩しておられます。これがきっかけとなって、マンション内外で思わぬ人間関係が形成できたと住民の方が話しておられました。
 フォーラムの後の懇親会にも参加させていただき、平場では言えない今だから言える本音の話なども聞かせていただくことが出来ました。
 都会に近いからこそ、あえて緑を残そう、それも由緒ある緑だからこそ一層次代にまで残したいと思われたのでしょう。和歌山は公の緑が多いからか、マンション建設などでは既存の緑が切られてしまい、あとから外から持ってきた植物が植えられます。
 普通に建設するよりは多くのお金はかかりますが、お金では買えないものが残せます。この方法が日本中に広まる日もそう遠くないと思います。

2008年11月16日

青年会議所の社会奉仕事業

 昨日はフォーラム後の懇親会で結構遅くまで志木にいました。他の皆さんよりは少し早く離れさせていただき、都内の宿舎に戻りました。
 羽田7時25分発のANA機で今朝、和歌山に戻ってきました。エコノミーで予約したのですが、前の方の早めに降りられるところを座席指定していたら、プレミアムクラスのシートでした。エコノミーのシートにはついていないたくさんの機能があり、つい子どものように色々と試してしまいました。
 家に着いて着替えて、青年会議所(JC)会員拡大委員会の社会奉仕事業へ向かいました。JC1年生は自動的に会員拡大委員会へ入ることになっています。今回は鳴滝にある県立有功ヶ丘学園で障害を持った子ども達との交流です。
 午前中はソフトボールをする予定だったのですが、あいにくの雨で中止です。昼から園舎で子ども達と一緒に遊びました。園舎は現在建て替え工事中でした。
 私達が用意したのは、ヨーヨー釣りや輪投げといった縁日遊び、先日ここで紹介したバルーンアートと歌の演奏、シャボン玉遊びです。前もって同じバルーンアートの仲間が犬をたくさん作ってくれていましたが、花をみんなに持ってもらうように50個近く作らなくてはならなくなり、四苦八苦しました。そのうち風船が足りなくなり、そこで終わりです。しかし、風船で作った何かが必ず一つみんなの手に行き渡らせることはできました。
 JCの先輩である岡田さんが歌を歌い、鈴やタンバリンを鳴らし、ピアニカを吹いたりと多彩で、うちの委員会の所属ではないのに一生懸命盛り上げて下さいました。ありがとうございました。
 シャボン玉遊びは、子ども達が小さなシャボン玉をたくさん作ったり、大きなシャボン玉にしたり、シャボン玉を吹き上げたりと、これも楽しんでもらえたようです。
 最後に新しく出来た園舎の花壇にさつきの木を記念植樹しました。春にはたくさんの花を咲かせてくれると思います。子ども達からはお礼の挨拶があり、中止になったソフトボールをぜひやりたいとの要望がありました。対戦をとても楽しみにしていたそうです。そのときは外野にでも入れてもらえればと思っています。

2008年11月17日

建設企業委員会の調査視察

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 今日から建設企業委員会の視察で四国に来ています。今日は関空から飛行機で松山に入りました。
 松山では2つのことを調査視察しました。一つは地域住宅計画についてで、市営住宅の建て替えや耐震改修について、松山市で行なわれている施策を教えていただきました。
 和歌山市でも苦労しているのが、老朽化した団地から新しい団地に移り住んでいただくことですが、なかなか進んでいません。今住んでらっしゃる場所を終の棲家にしたいとおっしゃってる方が多いそうです。また新しいところに移ると、家賃も緩やかですが、値上がりしてしまいます。そういう理由で拒否される方がいらっしゃいます。その状況は松山市でも同じでした。松山市では根気よく職員さんが説得にあたって、少しずつ移り住んでいただいてるそうです。和歌山市とは少々進み方が違うようです。
 もう一つは機能別消防団について教えていただきました。和歌山市でもそうですが、消防団に加入数方が少なくなってきて、地区によっては十分に機能しなくなる可能性があります。
 そこで、そのような危機を脱するために、日中サラリーマンで参加している地区にいない方の穴埋めをしてもらうために、その地区にある企業に団参加を求めたり、一定の地区に詳しい郵便局員に団へ参加してもらうなどの手立てを考えました。
 また女性消防団を創設し、日頃の防火啓発を訴えるなどの活動に従事していただいてるそうです。このような新しい取り組みが松山市では積極的に行なわれています。
 松山でやっているからと言って、そのまま和歌山で出来るとは限りませんが、参考にして和歌山に合ったやり方を見つけたいと思います。

2008年11月18日

松山から高知へ

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 今朝は5時45分に起きて、道後温泉の朝風呂に入ってきました。始発のチンチン電車に乗って、ホテルから道後温泉の本館へ。私と同じように、温泉へ入るために電車へ乗っている方もいらっしゃいました。
 写真にあるのが有名な道後温泉の本館です。男の浴室は東西の2つに分かれていました。私が入ったときには15人以上のお客さんがいらして、かなり窮屈でした。ピークが過ぎたのか、一番少ないときで6人。そのときはゆったりと湯船に浸かれました。とても趣のある建物、そして日本で一番古い温泉に入ることができました。

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 ホテルに戻り、朝食を食べた後、高速バスで高知へ向かいました。電車もあるのですが、電車は四国の外周に敷設されているため、およそ4時間半かかります。高速道路は四国の真ん中を突っ切っているので、2時間半で着くことができました。
 高知に着いて昼食を食べた後、高知市役所へ向かいました。高知では水道の基本計画と災害対策としての水道管の二重化について、勉強させていただきました。
 水道の基本計画では高知市がどのように水道を運営し、水の確保をしているのか、調査しました。出来るだけきれいな原水を確保すれば、浄化にかかる費用も少なくて済み、おいしい水を提供できるという点に重きを置いているそうです。
 水道管の二重化は、私が考えているものとちょっと違いました。二重化と聞いて、水道管を外管と内管の二重にしているのかと思っていましたが、実は要となる水道幹線を別ルートで引いて、片方に何かあったときのバックアップを用意しておくというものでした。複線化と言う方が分かりやすいかもしれません。
 高知市も財政的に厳しい状態で、なかなか思うようには進んでいないようですが、和歌山と同じく東南海・南海地震のときは被害をもろに受けるので、対策は着実に進めたいとおっしゃっておられました。

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 ホテルへの帰り道に通りがかった公園にあった立志社の記念碑です。この高知から自由民権運動が始まりました。この平成の世では、和歌山が政治改善の始まりの地になるようと思って、活動してまいります。

2008年11月19日

四国から帰還

 視察の最終日です。朝8時50分にホテルから歩いて、高知市消防局・中消防署へ視察に行きました。
 高知市消防局の通信司令室には和歌山市と同じように、携帯電話からの119番通報の際、通報者がどこにいるか位置が分かるシステムも装備されていました。また東南海・南海地震の際、津波が来ているかどうかを見るためなど防災に役立てるため、桂浜のリアルタイムの映像も常に見ることが出来るようになっていました。
 高知市の消防・救急体制について教えていただき、また消防広域化の課題なども聞かせていただきました。
 消防局での視察を終え、リムジンバスで高知竜馬空港へ。高知竜馬空港はアメリカ・ニューヨークの「ジョン・F・ケネディ国際空港」、フランス・パリの「シャルル・ド・ゴール国際空港」に次ぐ、世界で3つ目の人名がついた空港です。そこから関空に降りて、和歌山に帰ってきました。
 和歌山に帰ってくるといくつかの仕事とともに、残念な知らせが待っていました。私をいっぱい応援して下さっていた方が亡くなっていて、出張中に葬儀が行われていたそうです。参列できず本当に残念で、先程お参りに行ってきました。あんまり突然のことで涙も出ませんでした。改めて感謝の気持ちで手を合わさせていただきました。奥様も私が出張中だとご存知で、「忠相さん来てくれたよ」と遺影に声を掛けて下さり、「お父さんも喜んでいると思います」の言葉に少し救われた気がしました。
 役所にいるときに、東京から私の先輩が調査のために来ていて、久しぶりにお会いしました。先輩は、売却から「たま駅長」で脚光を浴びることになった貴志川線の経緯を調べに来られました。15分ほどしかお話できませんでしたが、鉄道を利用した地域の活性化について勉強させていただきました。他の都市や外国の例なども教えてくれることになりました。
 路線バスのダイヤ改正について和歌山バスから連絡があったと、総務局企画部から報告がありました。報告文書をデータベースに置いておきます。

バス運行ダイヤ改正について

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2008年11月20日

今度は口止め料

 麻生総理は一体どうしちゃったんでしょうか。国民への合法的な選挙買収である「定額給付金」に続いて、不満を言った基礎自治体に対して総額1兆円の交付金という名の口止め料。「1兆円やるから文句を言わずに給付金の事務をやれ」と言わんばかりのやり方。給付金だって、実施するのに経費がかかるんです。そのお金をそのまま基礎自治体にくれませんか?それが本当の地域主権だと思いますが。
 今朝は、岸本周平さんと挨拶回りするのに運転手をしたところからスタートです。お昼を食べた後、防犯対策について、以前地域の方からお願いされていたことを、東警察署の地域課と生活安全課の課長さんにお願いしてきました。
 余談ですが、和歌山でも振り込め詐欺がかなり多いそうです。お気をつけ下さい。
 市役所へ入って、12月議会の一般質問について、市当局の方と打ち合わせをしました。実際質問してものになるかどうか、瀬踏みをしているところです。
 夜には09年度の青年会議所会員開発委員会が開かれ、これから行う事業について話し合いをしました。
 昨日は鼻水が出て、鼻声でしたが、今日は何とか持ち直しました。急に寒くなって身体も全然ついていけてないようです。風邪や薬の効きにくいインフルエンザが流行っているようです。くれぐれもお気をつけ下さい。
 今日、市当局から2件の資料が届いています。一つは、11月15日付わかやま新報に、同じ水道使用量でも料金が違うという記事が掲載されました。それについての釈明が届きました。
 もう一つは、麻生総理がやるとおっしゃっている「定額給付金」について、この対策をするプロジェクトチームが出来ました。その報告です。和歌山市にとっては、余計な仕事が増えました。

水道料金の差異について

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定額給付金対策プロジェクトチームについて

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2008年11月21日

寒風吹きすさぶ

 今日は変わった天気でした。午前中は晴れていたのに、お昼前に急に曇りだし、気付けば雨です。私が市役所に行く時間には止んでいたのに、しばらくしたらものすごい風雨で、自転車では走れなくなりました。仕方なく家に引き返して車に乗り換えました。外よりも家の中の方が寒いぐらいでした。
 役所に着いてからは、12月議会の一般質問で取り上げる予定の事柄について、当局からレクチャーを受けました。まだ知らないことが多く、質問を書くより勉強する方が先です。
 その後は県連へ行ったり、新聞の切り抜きをしたり、いただいた名刺の整理もしました。
 帰る頃には日も暮れていて、外も寒くなっていました。家ではコタツに入っています。みかんを一気に10個食べたりすると、冬やなぁと思います。

2008年11月22日

暖かい日の光と音楽

 昨日の寒さと風の強さとは打って変わって、今日はなんと穏やかで暖かいことか!目まぐるしく気候が変わります。
 今朝は連合和歌山の組合員の皆さんとクリーンキャンペーンということで、磯ノ浦海水浴場の掃除に参加してきました。例年よりも掃除の実施が遅くなり、海岸はきれいにされていました。それでも、ガラスの破片やタバコの吸殻などが土の中から出てきたりします。それらの小さなごみを集めて回ります。そんなことを1時間余りして掃除は終了。かなりの量のごみが出てきました。

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 午後からは和歌山城の西の丸広場で行われた城フェスタファイナルの1日目、城ロック08に行ってきました。今回、近附の後輩である岡田淳さんが出演してくれました。昨年、近附開校25周年のDVDを収録して以来です。CDの歌声を聴いてはいましたが、やっぱり生で聴くと全然違います。
 彼女は今日の夜、市内5つのライブハウスが共同開催した「マジカルミュージックツアー」にも出演しました。私はこれも応援に行ってきました。明日はライブハウス「Vintage」でミニライブを行います。時間はおおよそ19時55分ごろだそうです。
 今回のイベントだけでなく、だいたい一月に1回のペースで和歌山に戻ってきて、イベントやなんかで歌っているそうです。写真のように、故郷の和歌山城と色づく木々の前で歌うのは、どんな気分なのだろうと思いました。
 会場の椅子に座って、彼女の歌を聴きながら、秘書になって初めて、岩國哲人代議士と一緒にこの和歌山へ帰ってきたときのことを思い出していました。そのときも会場は西の丸広場でした。代議士と一緒に和歌山の土を踏めるのがどんなにうれしかったことか。その時の気持ちが甦ってきました。私にとってはとてもいい機会となりました。
 ちょうど岩國哲人代議士のことに触れたのでもう一つ。今日ビックリするニュースがありました。岩國代議士が現在の神奈川8区から神奈川1区へ国替えするという知らせが届きました。私が秘書をしている間にも2度国替えを経験しました。大局のために決断されたのだと思います。1区でも必勝をお祈りしています。
 明日は城フェスタの最終日、砂の丸広場と西の丸広場でイベントがあります。よさこい秋祭りもあり、私もお手伝いしています。ぜひお越し下さい。

2008年11月23日

おどるんや秋祭り

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 さっき帰ってきました。自転車で紀ノ川大橋を渡ってきたのですが、星がとてもきれいでした。たぶん薄雲だと思うのですが、たくさんの星の中に帯のようにあって、天の川のようでした。
 今日は西の丸広場でWBS和歌山放送ラジオ祭りと一緒におどるんや秋祭りが行われました。隣の砂の丸では食祭が行われ、和歌山城天守閣再建50周年の記念事業「城フェスタ」の最後を飾りました。
 私は舞台袖で降り口の誘導係をさせていただきました。今回はおどるんやだけの催しではありません。後の催しの時間を遅らせるわけにはいかないので、踊り子さんのすばやい入れ替えが求められました。
 結果的にはとてもスムーズに入れ替えも出来、トラブルもなく時間通りに進めることが出来ました。食祭と同時開催ということもあり、主催者発表で約6万8千人の観客動員と、多くの方が見に来て下さいました。
 残念ながら今年は吉宗鍋を口にすることが出来ませんでした。食べられなかったら、どんな味だったのか、余計に気になります。
 これでおどるんやも今年のイベントを全て終了し、踊り納めとなりました。この1年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

2008年11月24日

イエローカードと給付金

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 3連休の最終日はあいにくの雨となってしまいました。そして寒い。昨日までの2日間の天気が余りにも良すぎたのでその反動でしょうか。
 さて今日は、そんな振替休日の一日ですが、政策のお話をさせていただこうと思います。
 写真はまもなく皆さんのお手元に届く、市報わかやま12月号の特別号です。地方財政健全化法の本格施行に伴って、和歌山市の財政はイエローカードである「財政健全化団体」になる可能性があることを、ここでもお話をしました。
 国からすべき仕事を決められ、それに必要なお金は必要なだけ下りてきます。しかし、それ以外の市が自由に使い道を決められるお金は年々減らされる一方です。権限と責任だけは渡されて、必要なお金は渡されない「なんちゃって地域主権」が進められています。
 例えば、同じ和歌山の中でも、和歌山市と隣の海南市では、人口も違えば地の利も違い、それぞれの特徴があることはご理解いただけると思います。しかし、国はそういうことを一切無視して、一律画一的に色々なものを投げてきます。高度経済成長の時代は行け行けドンドンでそういうやり方が良かったのかもしれません。しかし今は時代が変わり、そういうやり方は好まれないようになりました。人の好みで政策を決めるわけではありませんが、明らかに効果より弊害の方が大きくなっています。
 実は、この地方財政健全化法も官僚が作った一律画一的な政策の一つです。確かに夕張のようにはなりたくありません。しかし、和歌山には和歌山なりの事情もあります。例えば、法律で下水道を引くように決まった。これ自体も一律画一的ですが、その法律に従って一生懸命下水道を引いてきたら、今度は金がかかりすぎだといって指弾される。同じ国でも、国土交通省からは下水道で金を使えと言われ、総務省からは使いすぎでイエローカードだと言われる。私達市民はいつまでこの国の”多重人格”に付き合わされなければならないのでしょうか。
 今月に入って麻生総理がぶち上げた「定額給付金」構想。一人1万2千円、18才以下と65歳以上の皆さんには8千円を上乗せして一人2万円を給付するというものです。
 この「給付金」のために、2兆円の税金が全国民に薄く広くばら撒かれようとしています。和歌山市では約37万1千人の市民に約60億円が使われます。経済学者によっては、今回の給付金で、麻生総理の狙う緊急経済対策の効果は薄いと試算される方もいらっしゃいます。所得制限をかけるのかどうか決めるのも基礎自治体に投げて、堂々と「地方分権」と言い切ってしまう麻生総理の感覚には感心してしまいます。
 このように、全国民に薄く広くばら撒くよりは、せっかくの税金をある程度選んで集中させることが大事ではないかと思います。例えば、介護職員の賃金上乗せに使ってはどうでしょうか。
 全人口に対する65歳以上の方が占める割合を高齢化率といいますが、08年3月末現在の和歌山県の高齢化率は25.3%。4人に1人が65歳以上となってしまいました。和歌山市の高齢化率は23.5%と、確実に上昇しています。その一方で、仕事がきつい割には給料が安いということで、介護の職を離れる方も多くなっていて、お世話する方とされる方のバランスは悪くなっています。
 そこで、介護職員さんの賃金上乗せにこの「給付金」を使えば、介護からの離職に少しは歯止めがかかり、新たな雇用を生むことも考えられます。雇用があれば、経済効果も生まれますし、お世話される方も今よりは良いサービスを受けられるようになるのではないでしょうか。
 それ以前に、このお金を介護に使うのか、借金の返済に使うのか、その使い道を基礎自治体に決めさせるというのが本当の「地域主権」だと思いますが、皆さんはどう思われますか?
 こっちでは締め上げて、そっちではばら撒く。塩爺こと塩川正十郎元蔵相が「母屋ではおかゆ、離れではすき焼き」と例えられていましたが、まさにその状況がここにあります。麻生総理は思いつきで言って、引くに引けなくなってるのでしょうが、勇気を持って撤退することも必要だと思います。皆さんはどのようにお感じになってらっしゃるでしょうか。

2008年11月25日

食中毒事件の発生について

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学童保育の保育利用料の徴収について

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実質12月議会が始まりました

 3連休明けの今朝は、市駅前での街頭演説です。昨日の寒さからすればかなりマシでしたが、途中から少し風が出てきて、やっぱりちょっと寒かったです。
 今日から実質的に12月議会が動き出しました。午前中に議会運営委員会が開かれて、議会日程が決まりました。来月2日から22日までの21日間です。お昼間ですので難しいかもしれませんが、議会の傍聴にもぜひお出で下さい。
 市当局から、食中毒事件の発生について、12月議会に上程される産業部関連の議案の説明、学童保育に係る保育使用料の徴収について、以上3件の文書が届きましたので、データベースに置いておきます。

2008年11月26日

質問の通告が…

 今日、午前中は県連に居りました。お昼過ぎに幹事長の代役を勤める可能性があったのですが、会議が予定通り終わったので代役はありませんでした。
 午後からは周平事務所へ。2時間ほどいたのですが、選挙が遠のいて、人の出入りが少し落ち着いたような気がします。
 役所に戻ってきて、いくつか電話したり、昨日作った食肉処理場に関する統計・決算の表を送ったりしました。
 そろそろ一般質問の通告を出さなくてはいけないのですが、不確定要素が多くてまだ出せていません。議会事務局の担当者には迷惑をかけていますが、様々な日程の兼ね合いもあり、ご容赦いただければと思います。

2008年11月27日

質問に考え巡らせる

 今日の午前中は県連で、党本部から依頼のあった「プレス民主」原稿の調整を行いました。近々和歌山県連の特集を組んで下さるそうで、その分担と取材みたいなことをしました。
 お昼は久しぶりに市役所の14階食堂で食べました。豆腐と蒸し鶏のサラダ定食510円。親子丼とかの方が値段は安いのですが、カロリーは高いのでカロリーの低い方を選びました。
 お昼過ぎに質問の通告を出しました。当局とかなり話をしましたが、質問のテーマ自体に課題があり、かなり頭が痛いです。しかし「聞いただけ」の質問はしたくないですし、そんな提案を含まない質問はしてはならんと言われているので、考えを巡らせてみようと思います。
 ということで質問の順番は6番目、12月5日金曜日のお昼から登壇の予定です。よろしければ傍聴にいらして下さい。

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 15時からはJC青年会議所の会議のお手伝いに行ってきました。今回、和歌山市でJC近畿地区協議会主催の日本JC事業説明会が行われ、近畿にあるJCの理事長他役員が大勢集まりました。
 来年度の日本JCの会頭が各地区を回って、JC活動の”所信表明”をする場です。JCには入ったばっかりなので、このような大きな会議の場に出させていただくのは初めてでした。
 会頭の所信表明演説が終わったあと、会場を離れさせてもらって、市役所に戻り、担当部長や課長と質問を出した政策について、だいぶ話しました。今日はあまり方向性が出せず、月曜日に持ち越しです。
 5月から始まり、先日終了した「城フェスタ」各事業における暫定観客動員数の一覧表が当局から届きましたので、データベースに置いておきます。

城フェスタの暫定観客動員数一覧表

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2008年11月28日

地震に強い街づくり

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 今日から東京です。朝5時33分のリムジンバスに乗って関空経由で東京へ入りました。
 政策研究大学院大学で「地震に強い住宅に関する国際シンポジウム」に参加しました。飛行機も羽田空港からの電車も遅れていて、会場に着いたら第1部のパネルディスカッションが始まっていました。
 第1部ではインドネシアやネパール、パキスタンなどアジアを中心に地震の多い8カ国で、住民や建設業者、中央政府や地方政府役人の、地震に対するリスクをどの程度認知認識しているかを調べる意識調査を行い、その結果から導き出される防災政策について話し合いました。
 途上国では建築基準の周知徹底もなされておらず、また経済的な事情から、日本のように建設業者へ建設を依頼するのではなく、自らの手や家族で建てることが多いため、地震に対する脆弱性を含んでいることも報告されました。
 第2部では地震に負けない住宅作りというテーマで、地震と建築基準をどう近づけていくかについて話し合いました。また建築基準を近年の震災の経験からどう運用するかも話し合われました。
 勉強会は明日も続きます。

2008年11月29日

どうすれば地震による死傷者を少なく出来るのか

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 今日は、昨日に引き続き、「地震に強い住宅に関する国際シンポジウム」に参加しました。
 昨日行われた住民や政府の地震に対する意識の問題、建築基準に関する課題などの議論を踏まえて、ではどうすれば地震による死傷者を少なく出来るのか、その方策を考えるのが、今日の議論のテーマでした。
 発展途上国では、専門の技術者でない人が家を作るケースが多く、残念ながら耐震性能は貧富の差に比例しているとの報告もありました。また耐震に係る建築技術も普及していないため、震度4や5レベルで簡単に家が壊れてしまうそうです。テレビが棚から落ちたり、食器棚から食器が落ちて壊れたりしていないのに、家の壁は全壊しているなど、日本では考えられない例があります。
 日本では元々それなりの地震への備えがありますが、建物が建てられた年代によって耐震強度がかなり異なります。海外での例も参考に、高額でない耐震補強の技術開発が急がれます。
 シンポジウムが終わった後、飛行機で和歌山へ戻ってきました。よさこいスタッフ部会の忘年会があったのですが、和歌山に着いた時間がちょうど終わりの時間で、2次会からの合流となりました。今年一年、お疲れ様でした。

2008年11月30日

田母神論文について

 お昼によみうりテレビで「たかじんのそこまで言って委員会」を観ました。この番組は好きで、時間があれば観るか、ビデオに撮ったりしています。
 いつもなら3つのテーマを大体30分ずつやって1時間半の放送ですが、きょうは1つのテーマで全部使っていました。テーマは「田母神論文について」でした。
 論文を書いた田母神さん自ら出演してお話されていました。田母神さんは航空自衛隊出身ですが、他に陸上・海上自衛隊OBも出られていました。
 番組を拝見した感想を言えば、終始一貫論理がはっきりしていて、私にとってはストンと落ちる内容でした。論文の中身についての議論で、異論はありません。その通りだと思います。
 その前に、肝心の田母神さんが書かれた論文を放送までに読んでいなかったので、あわてて全文を手に入れて拝読しました。率直な感想ですが、私には全く違和感がありませんでした。正直、頷けることばかりです。
 私は東京で、ある高名な日本史の先生から教えを受けていました。そのときの内容と異にしない論文の内容だと思います。(先生、もし間違っていたらごめんなさい。)
 「自衛隊は早く『自衛軍』にすべきだ」と私は常々言ってきました。その考えは今も変わりません。憲法で認められているのかいないのか分からない宙ぶらりんな立場で、その仕事と責任だけは大きく、何かと言えば槍玉に上げられる。その立場にいる人からすれば、たまったもんじゃありません。会社員より高い給料を渡していればいいだろう、という問題ではないのです。
 「自衛軍にしたらまた戦争をする」なんておっしゃる方もいますが、私はナンセンスだと思います。今の日本に戦争をしなくてはならない事情があるでしょうか。わざわざどこかを攻めに行く理由はありません。ですから名前も「自衛軍」なのです。
 総理大臣にはSPが付いています。小沢代表や石原都知事、橋下府知事にも付いています。自衛隊は日本国民にとってのSPだと思います。SPは普段から誰かにケンカを売って歩いているわけではありません。自分が護るべき要人が何物からか危害を加えられようとしたときに、その身をもって防ぐのです。敵がこれ以上要人に対して危害を加えられないと判断できるまで制圧します。それ以上はしません。SPが和歌山県庁に乗り込んで侵略し、橋下府知事が実権を握るなんてことはないのです。そんなことを議論しても時間の無駄です。
 日本国民には三大義務が課せられています。教育・勤労・納税です。ゆとり教育でまともな教育を受けさせない、宙ぶらりんで社会の奉仕者としての立場を確立させてもらえない、給食費を踏み倒したり、脱税して海外に逃亡したり。たった3つの義務さえ守られていない今の日本社会がどうかしています。
 色々な立場で様々なご意見があろうかと思います。それを分かった上で、大事なことなので、少し立ち止まって考えてみなければならないと思います。ぜひ皆さんのご意見もお聞かせ下さい。

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